“稲垣仲静・稔次郎兄弟展” しかり、
“グランヴィル-19世紀フランス幻想版画” しかり、
“磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才” しかり。
ここ数年、 「えっ、誰それ?!」 という芸術家を、
練馬区立美術館があえてフィーチャーした美術展は、かなりの高確率でヒットしています。
僕の中では、
『練馬区立美術館が、誰だかわからない芸術家の個展を開催したら、這ってでも行け。』
という格言があるくらいです (←?)
そんな練馬区立美術館で、7月15日より、
“生誕100年 船田玉樹展” という美術展が始まりました。
「えっ、船田玉樹?誰それ?!」
ハイ。これは、這ってでも行くしかないわけです。
というわけで、早速、行ってきました。
そして、今回も行って大正解でした!
『練馬区立美術館が、誰だかわからない芸術家の個展を開催したら、這ってでも行け。』
この格言は、絶対です。
それでは、 「えっ、船田玉樹?誰それ?!」 という方のために、簡単にご紹介から。
船田玉樹 (1912~1991) は、広島県生まれの日本画家。
はじめは洋画家を志すも、琳派の作品に感銘を受け、日本画家志望に転向します。
上京して、速水御舟と小林古径ら正当な日本画家に師事したのち、
シュルレアリスムや抽象主義などを積極的に取り入れ、前衛的な日本画を発表するようになりました。
戦後は、広島に戻り、引きこもって制作を続けたのだとか。
今回の美術展のコピーである 「異端にして正統、孤高の画家人生。」 は、
まさに、そんな船田玉樹の画家人生を、ピッタリと言い現わしています。
順風満帆のような画家人生を送ったように思える玉樹ですが、
60歳を過ぎた時に、クモ膜下出血に倒れ、右半身が不自由になるという悲劇に襲われました。
しかし、右手で筆を持つことにこだわり続けた彼は、
絵を描く習練を一からやり直し、ついには右手で描けるようになるまで回復を遂げます。
いや、回復どころか、ますます筆は冴えわたり、
78歳で亡くなるまで、華やかな日本画を数々発表し続けたのです。
ではでは、実際に、彼の作品をご紹介していきましょう。
まずは、ポスターにも使われている初期の代表作 《花の夕》
日本画のアヴァン・ギャルドとして、彼の名を一躍知らしめた作品です。
月が木の幹に刺さっていたり、
よくわからない赤とピンクの花が鮮やかに咲き誇っていたり。
確かに、これまでの日本画とは一線を画する独自の世界観です。
絵の前に立った瞬間、その艶やかな迫力に、足がすくんでしまいました。
記事を書いている今でも、この作品が網膜に焼きついているほど、インパクトの強い作品です。
この 《花の夕》 を筆頭に、
京都国立近代美術館所蔵の 《大王松》 (画像はありません) や、 《枝垂れ桜》
《紅梅》
などなど。
玉樹の作品は、とにかく色彩が艶やか。
しばらく眺めていると、絵から色が “スーッ” と溶けだして、
目の前に、 “パァ!” ときて、 “シュワ~” って広がるような感じがします。
(表現が、ボラギノールのCMみたくなったのは、気のせいですw)
また、色彩だけでなく、他の日本画とは一線を画すのが、画面の空気感。
たいていの日本画には、余白の美しさというものが存在しますが。
船田玉樹の作品には、全くそれが無いのです。
というか、執拗に余白を無くそうとしている印象すら受けます。
《松》 という作品は、その典型例。
息苦しくなるくらいに、うっとうしい一枚 (笑)
もはや、ちょっとトラウマになるレベルの怖さすら感じます。
でも、この執拗な感じが、段々とクセになるから不思議なものです。
しかし、長谷川等伯の 《松林図屏風》 とは、真逆を行く作品ですね。
こんな作品ばっかりかと思いきや、
《ねむれない夜は》 のように、ゆる~い感じの河童の絵も何点かあり。
美術展では、 “緩” と “急” どちらの船田玉樹も楽しめました。
いやはや、こんなにもスゴい日本画家が、まだ知られずにいたとは。
こういう新鮮な出会いがあるから、美術展通いはやめられないのですね。
これからの練馬区立美術館にも期待です!
最後に、今回のマイベスト1作品を。
《暁のレモン園》 です。
(『もののけ姫』 の) こだまでしょうか。いいえ、レモン。
レモンが闇夜でボワッと光っているという光景が、
とてもシュールで、とても妖しげで、どこか悲しげで。
しばらく、この絵の前で、何も考えずに佇んでしまいました。
この絵を観るためだけに、もう一度美術展を訪れたいかも。
(入館料が500円とリーズナブルですしね!)
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生誕100年 船田玉樹展
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