2年ぶりに、弥生美術館へ行ってきました。
(その時の模様は、こちら)
現在、弥生美術館では、
“奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展” が開催中です。
・・・・・でも、大伴昌司って何者??
展覧会のHPによりますと、
“大伴昌司(1936~1973)は、1960年代後半から70年代前半にかけて、
少年雑誌の巻頭グラビアや図解記事の企画・構成・レイアウトを手がけたほか、
ミステリ雑誌・SF雑誌のライター、テレビ脚本、映画評論など、
多彩なジャンルで才能を発揮した希代のプランナー、そしてジャーナリストです。”
とあります。
う~ん、よくわかりません (笑)
ある人は、彼のことを、 『少年誌ブームを作った男』 と評し、
また、ある人は、彼のことを、 『オタクの先駆者』 と評しています。
う~~~ん、余計わかりません (笑)
しかし、昭和に生まれ育った男の子なら、
誰でも一度は、大伴昌司のお世話になっているはずなのです!
昭和の少年たちが、夢中になった 『ウルトラマン』 。
ウルトラマンや、そこに登場する怪獣たちの体の中は、一体どうなっているのか?
純粋な少年ならば、一度は、そんな疑問が頭によぎったはず。
(もちろん、人なんて入っていませんよ!)
その疑問を解決してくれたのが、このような怪獣の図解イラスト。
これらの図解イラストは、一冊の本にまとめられ、
『図解怪獣図鑑』 や、
『怪獣図解入門』 という形で、発売されました。
(この本は、子供の時に、本当によく読んでいました)
怪獣図解入門 (小学館入門百科シリーズ 18)/大伴 昌司
¥840
Amazon.co.jp
これらの怪獣の図解を企画した人物こそが、大伴昌司。
実は、この斬新な企画は、
当初は、 『少年マガジン』 の巻頭グラビアとして掲載されていたものだったのだとか。
(今現在は、巻頭グラビアは、水着グラビアばかりなので、考えられませんが)
怪獣の図解シリーズだけでなく、
『007』 シリーズや 『2001年宇宙の旅』 など当時の人気映画を図解したり、
1969年当時から見た未来予想を発表したり、
と、大伴昌司は、 『少年マガジン』 を中心とした少年誌の巻頭グラビアで、
次々と斬新な企画を発表しては、子供たちに、さまざまなカルチャーを伝えていったのです。
まだサブカルチャーという言葉がない時代に、
大伴昌司は、時代に先駆けて、サブカルチャーのブームを仕掛けていたのですね。
なるほど。だから、 『オタクの先駆者』 なのですね。
さながら、 “元祖みうらじゅん” といったところでしょうか。
何と言っても大伴昌司の一番の特徴は、
発信する方法を文字ではなく、ビジュアルに頼ったところにあります。
これは、 「一枚の絵は一万字にまさる」 という彼の独自の哲学によるもの。
確かに、怪獣の体内が、どうなっているのか、
文章だけで、こと細かく書かれていても、子供は見向きもしないと思います。
やはり、図解というインパクトのあるビジュアルだからこそ、子供はそこに惹かれるのでしょう。
今回の美術展は、この知られざる鬼才・大伴昌司を大々的に取り上げる初の機会。
大伴昌司が企画・構成した雑誌記事の紹介だけでなく、
彼の学生時代の同人誌や、日本SF作家クラブ事務局長としての仕事のあれこれ、
そして、彼が書いたスケッチの数々などなど、
余すことなく大伴昌司が紹介されていました。
もはや、大伴昌司を図解してしまった美術展と言っても過言ではありません (笑)
大伴昌司が生きていた時代から、すでに数十年が経過してしまっていますが。
彼が手掛けた雑誌の記事は、今読んでも、十分に面白かったです。
ただ、やはり少年誌用の記事ということもあって、
男子向けな美術展であることは否めなく、女性はあまり楽しめないかもしれませんf^^;
ちなみに。
『少年マガジン』 にて、さまざまなカルチャーを紹介していた大伴昌司。
その一つに、なんとエッシャーがありました。
エッシャーの版画を表紙に使ったり、エッシャー特集を組んだり。
エッシャーが、今、日本で有名になったきっかけを作ったのは、実は、大伴昌司だったのです!
さらに、大伴昌司は、もう一人有名な芸術家を、
『少年マガジン』 を通じて、日本で初めて紹介しています。
それは、ルネ・マグリット。
エッシャーもマグリットも、彼がいなかったら、
日本で広まるのは、もう少し後のことだったのかもしれません!
大伴昌司様々です。
今さらながら、ありがとうございました。
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奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展
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