この冬話題のドラマ、『不適切にもほどがある』。
劇中でたびたび登場する喫煙シーンを観て、
懐かしい気持ちになった人は少なくなくないでしょう。
そういえば、いつの間にか、喫煙する人は減りましたよね。
そして、たばこ屋も減りましたよね。
そんな懐かしのたばこ屋にスポットを当てた展覧会、
“たばこ屋大百科”が、たばこと塩の博物館で開催されています。
展覧会の冒頭で紹介されていたのは、
幕末のたばこ屋の様子が描かれた浮世絵です。
この頃は誰でもたばこを製造し、
自由にたばこを販売することができました。
しかし、明治37に煙草専売法が施行されると、
たばこを製造できるのが、大蔵省専売局のみとなります。
販売するにも、専売局からの指定が必要となりました。
その頃のたばこ屋を再現したものが、こちら↓
たばこの製造販売のルールは、
江戸時代と大きく変化はしたものの、
座売りというスタイルはまだ変わっていません。
それが大きく変化するのは、大正12年のこと。
関東大震災により被災した商店が再建する際、
店頭にカウンターを設ける店舗が増えたのでした。
なんとなく皆がイメージするたばこ屋は、この頃に誕生したのですね。
ちなみに。
たばこ屋の店舗が似たりよったりなのは、
昭和6年に専売局が小売人に直接製品を卸す、
直営配給制になったことが大きく関係しているそう。
通達や製品の配給を円滑にするため、
各地でたばこ屋の小売人組合が作られるように。
小売人組合は共同で店舗什器を購入したため、
おのずと店舗のデザインが似通った姿となったというわけです。
なお、僕の中では、たばこ屋さんは、
おばあさんがやっているイメージがありましたが。
昭和初期のたばこ屋さんは若い女性、
いわゆる看板娘があちこちにいたようで、
“店頭で美女を見ながら喫煙を楽しんだ”人もいたそうです。
さてさて、たばこ屋がもっとも活気にあふれていたのは、高度成長期以降。
たばこを吸う人も多くなり、店頭でのPOPや販売促進用品も活発になります。
ご贈答に、たばこ。
観光土産に、たばこ。
現在では考えれない価値観です(笑)。
贈答用たばこや、お土産たばこなんて、
令和においては、不適切にもほどがあります。
不適切といえば、日本専売公社東京地方局から、
管内の店舗に向けて出版されたという冊子『お店の友』の一部に・・・・・
こんな記事が掲載されていました。
『寝ながらにお金を儲ける方法』。
たばこの自動販売機を設置するだけで、
寝ていても金儲けができると推奨していました。
お金を稼ぐことは決して悪いことではないですが、
なんかもう少し他に言い回しが無かったものでしょうか(笑)
たばこという文化を通じて、
昭和と令和のライフスタイルの違い、
価値観の違いを楽しめる展覧会でした。
ちなみに。
個人的に一番印象に残っているのは、
明治時代に販売されていた「トーヨー」という、
両切たばこの店頭用看板(写真右)です。
思いっきり天使がたばこを吸っています。
令和なら、コンプラ的に一発アウトです。