冬の軽井沢にやって来ました。
例年より早く雪が降ったとのことで、すっかり雪景色でした。
寒さが尋常ではありません。。。
向かったのは、かねてより一度訪れてみたかったセゾン現代美術館。
セゾンとは、もちろんあのセゾンのこと。
西武グループの創業者・堤康次郎が収集した美術コレクションと、
かつて池袋にあったセゾン美術館の現代美術コレクションからなる美術館です。
ジョアン・ミロや、
《夜の中の女たち》
マーク・ロスコなど、
《ナンバー7》
巨匠たちの作品も多くコレクションしておりますが、
アンゼルム・キーファーをはじめとする現代美術のコレクションに、より定評があります。
セゾン “現代美術” 館と名乗るだけはあります。
ただ、現代美術とは言っても、セゾン美術館が開館していた80年代当時の現代美術。
今から見れば、もはや30年以上昔の現代美術です。
現在進行形の現代美術に触れるというよりも、
かつて、こんな時代もあったんだなぁと懐かしむ美術館といった感じでした。
言うなれば、80年代のトレンディドラマを、今見るような感覚に近い気がします。
さてさて、そんなセゾン現代美術館では、
“没後一年 宇佐美圭司展” という美術展が開催中です・・・今日まで。
(単なる “●●展に行ってきました” 的な記事になってしまって、申し訳ありませんm(__)m)
昨年お亡くなりになった画家の宇佐美圭司 (1940~2012) の初期の作品から、
最晩年の大作に至るまでの作品を網羅した回顧展です。
実は、宇佐美圭司という画家については、よく知らなかったのですが。
今回の回顧展を観賞して、かなりオンリーワンなアーティストであることが判明しました。
こんなにも独創的な画家が、昨年まで現役で活躍していたのですね!
初期は、 《作品No.3》 のようにアンフォルメル (不定形) 風の作品を発表しているのですが。
1960年代後半から突如、作風が変化します。
《ゴースト・プランNo.1》
上の作品の中に、人のシルエットのようなものが描かれているのが、おわかりになるでしょうか?
描かれている人型は、全部で4種類 (走る、屈む、踞る、投石する)。
1965年の 『ライフ』 誌に掲載されたロスアンジェルス・ワッツ地区の黒人暴動の写真に、
強いインスピレーションを受けた宇佐美圭司は、その写真の中から4人の人型を抜き出し、
その後、数十年にわたって、その4種類の人型をモチーフにした作品のみを発表し続けていたそうです。
だから、どの作品にも、同じ人型が・・・。
しかも、年々、人型が増えています・・・。
《時の橋を渡る No.1》
《旅・After Hiroshima》
全体的には、きちんと構成されていて、理知的な印象も受けるのですが。
それ以上に、狂気じみた (?) ものを感じました。
強迫観念的とでもいいましょうか。
展覧会を進んでも進んでも、4人の人型が待ち構えているのです (>_<)
アートというよりも、もはやサイコスリラー。
美術展を観賞して、一時的に作品に触れた自分ですら、そう感じたのですから。
数十年も、この4種類の人型が頭の中をぐるんぐるんしていた宇佐美圭司は、よほどのものがあったことでしょう。
ちなみに。
そんな宇佐美圭司が、最後に辿り着いた境地が、 《制動・大洪水》 という600号の大作。
もちろん4種類の人型はいっぱいです。
ただ、最後の大作であるというフィルターを通して観てしまったからなのかもしれませんが。
この作品には、救いのようなものを感じることができました。
4種類の人型が、成仏した (天に召された?) ような印象を受けたと言いましょうか。
どことなくミケランジェロの 《最後の審判》 を彷彿とさせものもありました。
同じモチーフを執拗に描き続けて、晩年の大作でそのモチーフの集大成を完成させる。
宇佐美圭司の画家人生は、他に適切な表現が見つからないのですが、実によく出来ていました。
まるで脚本や筋書きがあるかのような画家人生です。
良い美術展でしたが、欲を言えば、もう少しキャプションによる説明があった方が良かった気がします。
“宇佐美圭司を知っている” のを前提条件としている感は否めませんでした。
あ、あともう一つ欲を言えば、また宇佐美圭司の作品を観たいと思いますので、
次回は、寒くないときに開催して欲しいと思います (笑)
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没後一年 宇佐美圭司展
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