現在、永青文庫では、
“重要文化財指定記念「信長からの手紙」 ~細川コレクションの信長文書59通、一挙公開!~” が開催中です。
こちらは、平成25年に永青文庫が所蔵する 《細川家文書》 が、
新たに重要文化財に一括指定されたことを記念して開催された展覧会で、
《細川家文書》 全266通の中核をなす 「信長からの手紙」 59通が全点初公開されています。
・・・・・そう聞いて。
「なぁんだ。手紙が展示されているだけか。」
と思ってしまった方は、多いのではないでしょうか。
確かに、展示の多くが、 「信長からの手紙」 です。
戦国時代が好きな人でなければ、楽しめないかもしれません。
しかし、改めて、意識して鑑賞してみると、戦国時代の手紙には不思議がいっぱい。
例えば、赤い印が押されている手紙と、
《織田信長朱印状》
黒い印が押されている手紙がありますが、
《織田信長黒印状》
どんな使い分けがされているのか?
また、 《細川家文書》 の中に、
細川幽斉宛ではなく、織田信長から滝川一益宛の手紙が混ざっているのは、何故なのか?
そして、どうして、この手紙だけボロボロなのか??
その答えは、会場で明らかになります。
答えが気になる方は、是非。
個人的に、戦国時代の手紙で気になったのが、
展示されていた手紙の大半が、中途半端な位置から書き始められていたこと。
普通に考えたら、右端から書き始めた方がいいに決まっています。
実は、戦国時代の手紙には、こんなルールが。
まず紙の上半分に少しスペースを空け、右から左に書き進め、
足りなくなったら、今度は下半分にやはり右から左へと書き進めて行くのだそうです。
下半分もスペースを使い切ってしまったら、
最初に空けておいた上のスペースに、書くのだそうです。
言うなれば・・・
赤い四角で囲んだスペースは、追伸のようなもの。
ルールを知った上で観てみると、戦国時代の手紙がちょっと楽しくなります。
もちろん手紙に書かれている内容も、興味深いものがあります。
手紙に書かれているままでは、読める気がしませんが。
ちゃんと意訳も添えられたキャプションが、それぞれに付けられているのでご安心くださいませ。
例えば、こちらの 《織田信長朱印状》 は・・・
現存する中で、織田信長が細川幽斉に宛てた最後の手紙。
ざっくり言うと、
「備中 (岡山) まで出陣可能なように準備しろ。
詳細な命令は明智光秀より伝える。油断しないように。」
といような内容が書かれています。
この1ヶ月あまり後に、信長は明智光秀に本能寺の変で討たれています。
信長自身が油断していた模様。
「この時、信長は自分自身に降りかかる運命を知る由もなかった。」 というナレーションが入ります。
ちなみに。
今回出展されている手紙の中で最も貴重なのが、 《織田信長自筆感状》 です。
こちらは、現在確認されている中で、唯一確実な信長の自筆の文書。
他にも信長の自筆とされる文書はありますが、
それらはすべてこの 《織田信長自筆感状》 の筆跡との比較から推定されたものなのだそうです。
なぜ、この 《織田信長自筆感状》 が自筆と言い切れるかといいますと・・・
信長の側近・堀秀政が同日付で、同じく細川幽斉に送った手紙の一文に、
「信長様自らの手で書かれた手紙が・・・」 という記述があったからなのだとか。
もし、その記述がなかったら、織田信長の自筆だと言い切れるものが、一つも無かったかもしれません。
堀秀政、グッジョブ!
そんな貴重な 《織田信長自筆感状》 も、
セットで紹介されている 《織田信長自筆感状》 も、前期 (~2/8) までの展示です。
信長の直筆は永青文庫にあり。
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重要文化財指定記念「信長からの手紙」
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