春の鎌倉にやってきました。
桜の開花には、まだ早かったですが。
寒さのため、例年より開花が遅れた梅が、ちょうど咲き誇っていました。
長谷寺、大仏、江の島、生しらす丼・・・etc
行きたいスポットは、数多くあれど、真っ先に向かったのが、
ここ鶴岡八幡宮。
でも、今回の訪問の目的は、鶴岡八幡宮への参拝には非ず。
鶴岡八幡宮の境内にある美術館が、今回の目的地です。
こちらは、神奈川県立近代美術館 鎌倉館。
日本で最も古い近代美術館であり、
建築家・坂倉準三の代表作として、美術館の建築自体も、日本を代表する名建築として評価されています。
水上に浮かぶ寝殿造りのような建築でした。
明らかに、西洋の建築なのですが、その佇まいは、和風。
このアンビバレンツな印象が、神奈川県立近代美術館 鎌倉館の建物の魅力と言えそうです。
また、美術館の回廊部分は、
ゆらめく池の水面が、天井に投影され、幻惑的。
日本を代表する名建築と評されるのも納得です。
ちなみに、この神奈川県立近代美術館 鎌倉館の目前に広がる池には・・・。
危険なスッポンと亀が、いるらしい!!
とりあえず、近くに寄る際は、気を付けましょう (笑)
危険なスッポンと亀はさておいて。
こんなステキな美術館ですから、さぞ展示室もステキなのでしょう・・・と思いきや。
さすがに築60年以上の建物なので、老朽化の感は否めず。。。
『ボロを着てても心は錦』 の真逆を行く美術館でした (笑)
そんな、ちょっぴり残念な展示室で開催されていたのは、
“生誕100年 藤牧義夫展 モダン都市の光と影” という美術展。
「藤牧義夫?ポニョの歌を歌っていた人??」
そう思った方も、いらっしゃるかもしれますが、違います。
藤岡藤巻のお二人は、明らかに生誕100年ではありません。
藤牧義夫は、創作版画の分野で昭和初期に活動した木版画家です。
それまでの日本での版画は、伝統的な浮世絵版画が主流でした。
絵を描く絵師がいて、それを彫る人がいて、さらに、それを摺る人がいます。
しかし、1930年代になると、“自画自刻自摺” を掲げた 「新版画集団」 が現れます。
その集団の中でも、一人強烈な光を放っていたのが、藤牧義夫なのです。
藤牧義夫が、新版画で表現したのは、昭和初期のモダン都市東京。
時代の最先端の芸術で、時代の最先端の風景を表現しました。
例えば、ネオンが輝くガード下や、
隅田川に架かる鉄の橋、
広告として打ち上げられたアドバルーン、
などなど。
モダンな東京の風景が、味のある鑿 (のみ) の跡で表現されています。
この独特な鑿跡こそが、藤牧義夫の版画の最大のポイント。
絵画で言えば、 “筆致” に当たるように、
鑿跡には、作者の個性がストレートに現れています。
これは、それまでの浮世絵のような版画にはない表現です。
そんな斬新なスタイルで、
数々の新版画を発表した藤巻義夫の最高傑作とされるのが、
上野松坂屋の屋上から見た夕焼けをテーマにした 《赤陽》
“復興の高揚感と恐慌へと向かう時代の不安感までも写し取った”
として、版画のみならず、この時代を象徴する傑作と評されているのだそうです。
確かに、この作品の鑿跡は、悲痛な叫びのようにも思えます。
さて、この年。
藤巻義夫は、全4巻・全長60メートルにも及ぶ超大作 《白描絵巻(隅田川絵巻)》 も完成させております。
こちらは、版画ではなく、隅田川沿いの風景を、毛筆により墨一色で描き切った渾身の作品。
何でも、全編下書きなしで描いたのだとか!
ただし、こちらの 《白描絵巻(隅田川絵巻)》 は、2月19日までの限定展示。
現在から、3月25日までは、
こちらの 《白描絵巻(申孝園)》 が展示されています。
江東区一之江にある申孝園の庭園・四季の庭を描いたものなのだそうです。
四季の庭だけあって、登場するのは、草花ばかり。
個人的には、藤巻義夫らしい都市を描いた 《白描絵巻(隅田川絵巻)》 の方を観たかった。。。
さてさて、この 《白描絵巻(隅田川絵巻)》 を完成させた翌年。
24歳の若さにして、藤巻義夫は、失踪してしまいます。
そして、現在に至るまで、その行方は誰にも知られていません。
一体、藤巻義夫の身に何が?!
何ともミステリアスな版画家です。
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生誕100年 藤牧義夫展
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