本日ご紹介する美術展は、埼玉県立近代美術館で開催中の “日本におけるキュビスム−ピカソ・インパクト” 。
タイトルずばり、日本における 「キュビスム」 を徹底検証した展覧会です。
・・・・・・・・・ところで。
そもそも、「キュビスム」 って何でしょう??
簡単に説明しますと。
キュビスムとは、20世紀初頭にパリで発生した美術運動の一つで、
三次元に存在している対象を二次元に画面に再構成しようという試みのことです。
・・・・・って、全然簡単ではなかったですね (汗)
では、皆様、突然ですが、サイコロを描いてみてくださいませ。
普通に考えたら、ある一点から見た姿で描きますよね。
でも、これでは最低1面、最高でも3面しか描けません。
1枚の絵で、サイコロのすべてを表現するとしたら、
どうにかして、見えていない面も描きたいところです。
ならば、こうしましょう!
反対側から、上から、いろんな視点から見ればいいのです。
そして、それぞれの姿を絵の中で合体させちゃえばいいのです!
ざっくり言えば、そんなように展開図のごとく描くスタイルが、キュビスム。
この斬新すぎるスタイルは、天才ピカソとその盟友ブラックによって編み出されました。
彼らがキュビスムを発表するやいなや、ヨーロッパの美術界に激震が走りました。
そして、その余震 (?) は、少し遅れて遠く日本にも到達!
あるものは、日本にいながら見よう見まねで。
萬鐵五郎 《もたれて立つ人》 1917年 東京国立近代美術館
また、あるものは、本場フランスで本物のキュビスムを目の当たりにして。
東郷青児 《歩く女》 1922年 名古屋市美術館
実に、多くの日本人洋画家たちがキュビスム風の作品を描いたのでした。
影響を受けすぎ!
流行に流されすぎ!
まぁ、それは昔も今も変わらずですね。
西洋に憧れちゃう性質は、日本人のDNAに組み込まれているのかもしれません。
しかし、このキュビスムブームは、ビリーズブートキャンプや、
クリスピー・クリーム・ドーナツのように一過性のもので、結局、日本には定着しませんでした。
ところが!
それから数十年後。
東京と大阪で大々的なピカソ展が開催されたのを機に、
キュビスム熱、ピカソ熱が再燃することとなったのです!
池田達雄 《十字街》 1952年 練馬区立美術館
岡本太郎 《まひるの顔》 1948年 川崎市岡本太郎美術館
しかも、今度は洋画界だけでなく、
日本画界や工芸界にもキュビスム風の作品を制作する作家が現れました。
世界の中で日本だけで巻き起こったピカソのセカンドインパクト。
この謎の現象にスポットを当てることこそが、今回の展覧会の真のテーマ。
キュビスムは、ヒロミなみに再ブレイクを果たしていたのですね。
さて、それらを検証するために、展覧会の会場には、
第一世代と第二世代のキュビスムの影響を受けちゃった作品の数々が集結しています。
もちろん、明らかにキュビスムやピカソの影響を受けている作品が多かったですが。
(例えば、山本敬輔の 《ヒロシマ》 とか!)
中には、“まぁ、キュビスムっぽいと言えば、ぽいけど・・・” と、ブラックならぬグレーな作品も。
岡本太郎と深い交流のあった吉仲太造の作品に関しては、
吉仲太造 《生きものH》 1955年 板橋区立美術館
ピカソの影響というよりも、岡本太郎の影響が強め。
岡本太郎インパクトです。
また、紹介されている作家の中には、
長い画業の中で、ほんの少しだけキュビスム作品を描いていたであろう画家もいました。
(↑若いころに一回だけ金髪にしていただけで、元ヤン扱いされるようなもの?)
「いやぁ、若い頃、キュビスムにかぶれててねー」 という自覚がある画家ならいいでしょうが。
そうでない画家にとっては、
“へー、この画家もピカソっぽい絵を描いてたんだねwww”
と、鑑賞者にさらし者になってしまうわけで。
きっと気恥ずかしいはず (笑)
もしかしたら、草葉の陰でワーワー焦っているかもしれません。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
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タイトルずばり、日本における 「キュビスム」 を徹底検証した展覧会です。
・・・・・・・・・ところで。
そもそも、「キュビスム」 って何でしょう??
簡単に説明しますと。
キュビスムとは、20世紀初頭にパリで発生した美術運動の一つで、
三次元に存在している対象を二次元に画面に再構成しようという試みのことです。
・・・・・って、全然簡単ではなかったですね (汗)
では、皆様、突然ですが、サイコロを描いてみてくださいませ。
普通に考えたら、ある一点から見た姿で描きますよね。
でも、これでは最低1面、最高でも3面しか描けません。
1枚の絵で、サイコロのすべてを表現するとしたら、
どうにかして、見えていない面も描きたいところです。
ならば、こうしましょう!
反対側から、上から、いろんな視点から見ればいいのです。
そして、それぞれの姿を絵の中で合体させちゃえばいいのです!
ざっくり言えば、そんなように展開図のごとく描くスタイルが、キュビスム。
この斬新すぎるスタイルは、天才ピカソとその盟友ブラックによって編み出されました。
彼らがキュビスムを発表するやいなや、ヨーロッパの美術界に激震が走りました。
そして、その余震 (?) は、少し遅れて遠く日本にも到達!
あるものは、日本にいながら見よう見まねで。
萬鐵五郎 《もたれて立つ人》 1917年 東京国立近代美術館
また、あるものは、本場フランスで本物のキュビスムを目の当たりにして。
東郷青児 《歩く女》 1922年 名古屋市美術館
実に、多くの日本人洋画家たちがキュビスム風の作品を描いたのでした。
影響を受けすぎ!
流行に流されすぎ!
まぁ、それは昔も今も変わらずですね。
西洋に憧れちゃう性質は、日本人のDNAに組み込まれているのかもしれません。
しかし、このキュビスムブームは、ビリーズブートキャンプや、
クリスピー・クリーム・ドーナツのように一過性のもので、結局、日本には定着しませんでした。
ところが!
それから数十年後。
東京と大阪で大々的なピカソ展が開催されたのを機に、
キュビスム熱、ピカソ熱が再燃することとなったのです!
池田達雄 《十字街》 1952年 練馬区立美術館
岡本太郎 《まひるの顔》 1948年 川崎市岡本太郎美術館
しかも、今度は洋画界だけでなく、
日本画界や工芸界にもキュビスム風の作品を制作する作家が現れました。
世界の中で日本だけで巻き起こったピカソのセカンドインパクト。
この謎の現象にスポットを当てることこそが、今回の展覧会の真のテーマ。
キュビスムは、ヒロミなみに再ブレイクを果たしていたのですね。
さて、それらを検証するために、展覧会の会場には、
第一世代と第二世代のキュビスムの影響を受けちゃった作品の数々が集結しています。
もちろん、明らかにキュビスムやピカソの影響を受けている作品が多かったですが。
(例えば、山本敬輔の 《ヒロシマ》 とか!)
中には、“まぁ、キュビスムっぽいと言えば、ぽいけど・・・” と、ブラックならぬグレーな作品も。
岡本太郎と深い交流のあった吉仲太造の作品に関しては、
吉仲太造 《生きものH》 1955年 板橋区立美術館
ピカソの影響というよりも、岡本太郎の影響が強め。
岡本太郎インパクトです。
また、紹介されている作家の中には、
長い画業の中で、ほんの少しだけキュビスム作品を描いていたであろう画家もいました。
(↑若いころに一回だけ金髪にしていただけで、元ヤン扱いされるようなもの?)
「いやぁ、若い頃、キュビスムにかぶれててねー」 という自覚がある画家ならいいでしょうが。
そうでない画家にとっては、
“へー、この画家もピカソっぽい絵を描いてたんだねwww”
と、鑑賞者にさらし者になってしまうわけで。
きっと気恥ずかしいはず (笑)
もしかしたら、草葉の陰でワーワー焦っているかもしれません。
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