今年めでたく開館25周年を迎えた三鷹市美術ギャラリー。
それを記念して、現在、“横山操展~アトリエより~” が開催されています。
戦後日本画の異才とも称された横山操は、
自宅とアトリエを三鷹市大沢に構えていたこともあり、三鷹市とは縁の深い画家。
三鷹市美術ギャラリーが開館した1993年、トップバッターを飾ったのも横山操展だったそうです。
展覧会の入り口には、そんな開館記念展の様子がパネルで紹介されていました。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
横山操らしい大型のダイナミックな作品が会場を埋め尽くしています。
ということは、きっと開館25周年記念の今回も、大型のダイナミックな作品が多く出展されているはず!
・・・・・・・・と思ったら。
そうでもなかったです。
一瞬、展示室を間違えたかなと本気で思ってしまったほど。
・・・・・横山操展ですよね??
大きな作品もなくはなかったですが。
展覧会で紹介されているのは、小品ばかり。
さらに、普通の展覧会では、箸休め的 (?) に紹介されがちな、
筆や絵の具などの愛用品も、むしろメインな感じで展示されていました。
昨年、横山操夫人の基子氏が亡くなったことをきっかけに、
三鷹市美術ギャラリーが、アトリエの調査に入ったのだそうです。
その調査により見つかった未完の作品や愛用品を初公開し、
これまで知られていなかった横山操の一面を見せようというのが、今展のコンセプトとのこと。
なるほど。どうりで全体的に、横山操の記念館のような印象を受けたわけです。
横山操のファン、ないしは、横山操のことをある程度知っている人にとっては、興味深い展覧会。
そうでもない人にとっては、あまり心に響かない展覧会かもしれません。
正直なところ、絵画が観たかったので、
愛用品の展示には、そこまで心が動かされなかったのですが。
唯一、心を動かされたのが、自作の画歴です。
自分が掲載された記事を、丁寧にスクラップ。
しかも、自分が言及されているところには、しっかり赤線が引いてありました。
よく見ると、ストラップ的なものも付いています。
ということは、部屋にいつも飾ってあったのでしょうか?
僕もどちらかと言えば、自分が好きなタイプですが。
横山操には勝てる気がしません (笑)
そんな横山操の自分好きっぷりは、こんなところにも。
こちらは、永井龍男の新聞小説 『石版東京図絵』 の挿絵原画も一挙展示 (一部紛失あり) です。
連載が始まった当初は、絵の大きさも控えめで、
文章に合わせて、レイアウトを真剣に考えている節があるのですが。
連載が進むにつれ、レイアウトを気にせず、どんどん大胆に。
最終回近くになると、ほとんどの挿絵に 「山に〇」 のサインを添えていました。
自分をアピールする気持ちが抑えられなかった様子。
その変遷が見られて、大変興味深かったです (笑)
今回出展されていた絵画作品の中で、
強く印象に残ったのは、晩年に描かれた 《茜》 という一枚。
往年のようなダイナミックさはなく、落ち着きのある静謐な印象の作品です。
実は、横山操は51歳の時に、脳卒中で倒れ、
右半身不随となり、利き腕の右手が使えなくなってしまったのだそう。
しかし、制作意欲がやむことはなく、リハビリに徹し、
その半年後には、絵筆を左手に持ち替えて再び制作を始めたのだそうです。
ところが、53歳の時に再び脳卒中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
この絵は、その最後の時代に、気力を振り絞って描かれた絵画のうちの一点なのだとか。
それを知った上で見てみると、静謐な画面ながら、
気迫や画家としての業のようなものが感じられました。
ちなみに、今回の展覧会のラストを飾っていたのは、あまり展覧会では見かけない意外なもの。
まさかの横山操の表札でした。
これに関しては、さすがに横山操ファンでも、
「えっ、何でこれがラスト??」 となるはず (笑)
そもそも、そこまで表札を展覧会で観たいとも思いませんし。
仮に展示するとしても、表札なら入り口に展示した方が良かったのでは?
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それを記念して、現在、“横山操展~アトリエより~” が開催されています。
戦後日本画の異才とも称された横山操は、
自宅とアトリエを三鷹市大沢に構えていたこともあり、三鷹市とは縁の深い画家。
三鷹市美術ギャラリーが開館した1993年、トップバッターを飾ったのも横山操展だったそうです。
展覧会の入り口には、そんな開館記念展の様子がパネルで紹介されていました。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
横山操らしい大型のダイナミックな作品が会場を埋め尽くしています。
ということは、きっと開館25周年記念の今回も、大型のダイナミックな作品が多く出展されているはず!
・・・・・・・・と思ったら。
そうでもなかったです。
一瞬、展示室を間違えたかなと本気で思ってしまったほど。
・・・・・横山操展ですよね??
大きな作品もなくはなかったですが。
展覧会で紹介されているのは、小品ばかり。
さらに、普通の展覧会では、箸休め的 (?) に紹介されがちな、
筆や絵の具などの愛用品も、むしろメインな感じで展示されていました。
昨年、横山操夫人の基子氏が亡くなったことをきっかけに、
三鷹市美術ギャラリーが、アトリエの調査に入ったのだそうです。
その調査により見つかった未完の作品や愛用品を初公開し、
これまで知られていなかった横山操の一面を見せようというのが、今展のコンセプトとのこと。
なるほど。どうりで全体的に、横山操の記念館のような印象を受けたわけです。
横山操のファン、ないしは、横山操のことをある程度知っている人にとっては、興味深い展覧会。
そうでもない人にとっては、あまり心に響かない展覧会かもしれません。
正直なところ、絵画が観たかったので、
愛用品の展示には、そこまで心が動かされなかったのですが。
唯一、心を動かされたのが、自作の画歴です。
自分が掲載された記事を、丁寧にスクラップ。
しかも、自分が言及されているところには、しっかり赤線が引いてありました。
よく見ると、ストラップ的なものも付いています。
ということは、部屋にいつも飾ってあったのでしょうか?
僕もどちらかと言えば、自分が好きなタイプですが。
横山操には勝てる気がしません (笑)
そんな横山操の自分好きっぷりは、こんなところにも。
こちらは、永井龍男の新聞小説 『石版東京図絵』 の挿絵原画も一挙展示 (一部紛失あり) です。
連載が始まった当初は、絵の大きさも控えめで、
文章に合わせて、レイアウトを真剣に考えている節があるのですが。
連載が進むにつれ、レイアウトを気にせず、どんどん大胆に。
最終回近くになると、ほとんどの挿絵に 「山に〇」 のサインを添えていました。
自分をアピールする気持ちが抑えられなかった様子。
その変遷が見られて、大変興味深かったです (笑)
今回出展されていた絵画作品の中で、
強く印象に残ったのは、晩年に描かれた 《茜》 という一枚。
往年のようなダイナミックさはなく、落ち着きのある静謐な印象の作品です。
実は、横山操は51歳の時に、脳卒中で倒れ、
右半身不随となり、利き腕の右手が使えなくなってしまったのだそう。
しかし、制作意欲がやむことはなく、リハビリに徹し、
その半年後には、絵筆を左手に持ち替えて再び制作を始めたのだそうです。
ところが、53歳の時に再び脳卒中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
この絵は、その最後の時代に、気力を振り絞って描かれた絵画のうちの一点なのだとか。
それを知った上で見てみると、静謐な画面ながら、
気迫や画家としての業のようなものが感じられました。
ちなみに、今回の展覧会のラストを飾っていたのは、あまり展覧会では見かけない意外なもの。
まさかの横山操の表札でした。
これに関しては、さすがに横山操ファンでも、
「えっ、何でこれがラスト??」 となるはず (笑)
そもそも、そこまで表札を展覧会で観たいとも思いませんし。
仮に展示するとしても、表札なら入り口に展示した方が良かったのでは?
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