《太陽の塔》 の内部公開がスタートしてから、早5か月。
いまだに、なかなか予約は取れないそうです。
そんな誕生から今なお絶大な人気を誇る 《太陽の塔》 にちなんで、
現在、岡本太郎記念館で開催されているのは、“太陽の塔への道” という展覧会。
岡本太郎が 《太陽の塔》 を制作に挑む前夜、
1960年代の岡本太郎の仕事に焦点を当てた展覧会で、油彩や彫刻など約20点が紹介されています。
まず何と言っても、目を惹くのが、こちらのタワー的なもの。
1962年に制作された 《メリーポール》 です。
見た目やカラーリングからは全く想像がつきませんでしたが。
実はこの作品は岡本太郎流のクリスマスツリー。
「池袋を明るい街、新しい都心に」 というスローガンのもと、
池袋の百貨店・商店街の依頼により制作されたアルミニウム製のクリスマスツリーで、
高さは16m、両腕の長さは10mあったそうです。
クリスマスツリーという季節ものであるため、
実際に池袋東口に設置されていたのは、わずか1か月半だけだったのだとか。
ちなみに、照明用の電気代は、月約100万円だったとのこと。
当時の会社員の平均月収は、2万2千円程度。
電気代がべらぼうだったことも話題になったそうです。
そんな 《メリーポール》 の派手さに隠れて (?) 、
ひっそりめに展示されていたのが、《太陽の鐘》 の模型でした。
こちらは、かつて静岡県内にあったレジャー施設、
「日通伊豆富士見ランド」 のために、1966年に制作された作品です。
日通がレジャー施設を運営していたことにまずビックリしましたが、残念ながら1995年に施設は閉園。
その後、しばらく人目に触れられることはありませんでしたが、
いろいろな縁があって、今年の3月31日から群馬県前橋市にて第二の人生を歩み始めたそうです。
鐘の部分をよく見ると・・・
まんま 《太陽の塔》 のあの顔がありました。
その後の 《太陽の塔》 へと繋がる重要な作品です。
また、絵画作品では、幻の壁画作品といわれる 《豊穣の神話》 の下絵が紹介されていました。
こちらは、あの 《明日の神話》 の姉妹作に当たる作品で、
《明日の神話》 と同じくメキシコシティに建設を予定されたホテルから依頼されたもの。
バンケットルームを飾る予定だったそうですが、ホテル建設が頓挫したため、制作は白紙に。
もし完成していたら、《明日の神話》 の倍の大きさに当たる60mの巨大作品となっていたそうです。
つくづく未完であるのが悔やまれます。
ただ、下絵とは言っても、写真に納まらないくらいの大きさ。
下絵とは思えないほどのパワーがあります。
何のキャラかよくわからないですが、何かを訴えかけてくるものはありました。
左端には落書きのようなものも。
これはこれで、味があって癒されます。
さてさて、岡本太郎記念館の館長曰く、「太郎の作風は60年代で大きく変わった」 とのこと。
「繊細な筆致でぎっしりと多くのモチーフを描いていたそれまでとは打って変わって、
梵字にも似た抽象的で呪術性を感じる黒のモチーフが中心的な役割を果たすようになる」 のだとか。
確かに、紹介されていた絵画作品はどれも黒が象徴的で、まるで黒がうごめいているようでした。
その中で特に印象的だったのが、こちらの作品。
画面の半分ほどが、黒い何かで占められています。
タイトルは、《休日》 とのこと。
この黒いのは、「明日も会社休みてー!」 という思いを表しているのかもしれません。
ちなみに。
今年に入ってから、岡本太郎記念館の庭に出現した全身グレーの岡本太郎フィギュアは・・・
今回は展覧会の会場に。
その分、庭が少し寂しくなったからでしょうか、
久しぶりにアイツが2階のベランダから、ひょっこり顔を覗かせていました。
ナイスひょっこり。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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そんな誕生から今なお絶大な人気を誇る 《太陽の塔》 にちなんで、
現在、岡本太郎記念館で開催されているのは、“太陽の塔への道” という展覧会。
岡本太郎が 《太陽の塔》 を制作に挑む前夜、
1960年代の岡本太郎の仕事に焦点を当てた展覧会で、油彩や彫刻など約20点が紹介されています。
まず何と言っても、目を惹くのが、こちらのタワー的なもの。
1962年に制作された 《メリーポール》 です。
見た目やカラーリングからは全く想像がつきませんでしたが。
実はこの作品は岡本太郎流のクリスマスツリー。
「池袋を明るい街、新しい都心に」 というスローガンのもと、
池袋の百貨店・商店街の依頼により制作されたアルミニウム製のクリスマスツリーで、
高さは16m、両腕の長さは10mあったそうです。
クリスマスツリーという季節ものであるため、
実際に池袋東口に設置されていたのは、わずか1か月半だけだったのだとか。
ちなみに、照明用の電気代は、月約100万円だったとのこと。
当時の会社員の平均月収は、2万2千円程度。
電気代がべらぼうだったことも話題になったそうです。
そんな 《メリーポール》 の派手さに隠れて (?) 、
ひっそりめに展示されていたのが、《太陽の鐘》 の模型でした。
こちらは、かつて静岡県内にあったレジャー施設、
「日通伊豆富士見ランド」 のために、1966年に制作された作品です。
日通がレジャー施設を運営していたことにまずビックリしましたが、残念ながら1995年に施設は閉園。
その後、しばらく人目に触れられることはありませんでしたが、
いろいろな縁があって、今年の3月31日から群馬県前橋市にて第二の人生を歩み始めたそうです。
鐘の部分をよく見ると・・・
まんま 《太陽の塔》 のあの顔がありました。
その後の 《太陽の塔》 へと繋がる重要な作品です。
また、絵画作品では、幻の壁画作品といわれる 《豊穣の神話》 の下絵が紹介されていました。
こちらは、あの 《明日の神話》 の姉妹作に当たる作品で、
《明日の神話》 と同じくメキシコシティに建設を予定されたホテルから依頼されたもの。
バンケットルームを飾る予定だったそうですが、ホテル建設が頓挫したため、制作は白紙に。
もし完成していたら、《明日の神話》 の倍の大きさに当たる60mの巨大作品となっていたそうです。
つくづく未完であるのが悔やまれます。
ただ、下絵とは言っても、写真に納まらないくらいの大きさ。
下絵とは思えないほどのパワーがあります。
何のキャラかよくわからないですが、何かを訴えかけてくるものはありました。
左端には落書きのようなものも。
これはこれで、味があって癒されます。
さてさて、岡本太郎記念館の館長曰く、「太郎の作風は60年代で大きく変わった」 とのこと。
「繊細な筆致でぎっしりと多くのモチーフを描いていたそれまでとは打って変わって、
梵字にも似た抽象的で呪術性を感じる黒のモチーフが中心的な役割を果たすようになる」 のだとか。
確かに、紹介されていた絵画作品はどれも黒が象徴的で、まるで黒がうごめいているようでした。
その中で特に印象的だったのが、こちらの作品。
画面の半分ほどが、黒い何かで占められています。
タイトルは、《休日》 とのこと。
この黒いのは、「明日も会社休みてー!」 という思いを表しているのかもしれません。
ちなみに。
今年に入ってから、岡本太郎記念館の庭に出現した全身グレーの岡本太郎フィギュアは・・・
今回は展覧会の会場に。
その分、庭が少し寂しくなったからでしょうか、
久しぶりにアイツが2階のベランダから、ひょっこり顔を覗かせていました。
ナイスひょっこり。
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