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Channel: アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
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士 サムライ―天下太平を支えた人びと―

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現在、江戸東京博物館で開催されているのは、
“士 サムライ―天下太平を支えた人びと―” という展覧会。


(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)


本名、大山敦士。
武士の 『士』 の一字を名付けられた身としては、行かないわけにいかない展覧会です。


さてさて、展覧会で焦点が当てられているのは、
鎌倉時代でも戦国時代でもなく、江戸時代のサムライ。
戦乱の世が終わった江戸時代、サムライたちは一体どのような生活をしていたのでしょうか?
知ってるようで知らない江戸時代のサムライの日常を紹介するものです。




展覧会で紹介されている歴史資料は、約200点。
マイナーな武士の家に伝来した所要品もあれば、




勝海舟のようなビッグネームにまつわる展示品も数多く出展されていました。




こちらの火鉢や孔雀石も、ある有名なサムライにまつわる展示品です。




そのサムライの名は、大岡忠相。
『大岡裁き』 で知られる江戸時代の名奉行です。
ちなみに、もはやトングのようにも見える大きな毛抜も大岡忠相の所用品。
大岡忠相は採決を行う時、髭を抜きながら思考したと伝えられているのだそうです。

意外なところでは、歌川広重の所用品の数々も紹介されていました。




江戸を代表する浮世絵師として知られる広重ですが、
実は、幕府定火消同心の家に生まれた、れっきとしたサムライです。
展覧会では、晩年に所持していたという骨製の脇差も展示されていました。
サムライとしての広重の一面が垣間見える貴重な機会です。
星


さてさて、戦がほとんど無かったこの時代、
サムライたちの最も重要な任務だったのが、災害対応。
家事が発生すれば、火消しの統率にあたり、
河川の氾濫や浸水が発生すれば、現場に急行し、復興に尽力したそうです。
こちらは、対馬藩宗家に伝来する火事装束。




江戸時代のサムライは、天災と戦っていたのですね。
とはいっても、もちろん来たるべき戦に備えて、
戦国時代までのサムライ同様、日々の鍛錬は怠っていなかった模様。
特筆すべきは、刀だけでなく鉄砲の鍛錬も行っていたことです。


《調練足並略図》 安政年間 国立歴史民俗博物館蔵


懐かしのスーファミのゲーム 『レミングス』 をどこか彷彿とさせるものがありますが。
こちらは、幕末の銃隊調練の様子を描いたもの。
よく見ると、全員腰にはちゃんと2本の刀を差しています。
刀も装備して、銃も装備して。
幕末のサムライは大変だったのですね。

ちなみに。
鉄砲関連として、幕末期の青銅製の大砲も特別に展示されていました。




こちらの大砲は、明治維新後、皇居内に設置されたそう。
そして、正午を知らせる時報として、
毎日空砲を一発ずつ発射していたのだそうです。
お昼12時になるたびに、東京に大砲の音が響き渡っていただなんて。
今日の今日まで知りませんでした。


展覧会では、さまざまな資料が紹介されていましたが、
やはり印象に残っているのは、サムライたちを映した写真です。


フェリーチェ・ベアト 《薩摩藩の役人》 1863~1870年頃 個人蔵


当たり前ですが、本物のサムライを見たことがないため、
結局のところ、どこかファンタジーのような存在でしかありませんが。
写真として像が残っているサムライの姿を目にすると、
日本にかつてサムライと呼ばれた人々がいたことを実感せざるを得ませんでした。
個人的に一番印象に残っているのは、《役人と従者》 (画面手前) という一枚。




センターのサムライだけ、がっつりカメラ目線。
しかも、口元がややほころんでいます。
写真に写るのが嬉し過ぎて、どうしても我慢できなかったのでしょう。
サムライもまた普通の人間だったのですね。


最後に、もう一つ個人的に印象に残った展示品をご紹介。
大奥の警備や監察を務めたとあるサムライに、皇后和宮が下賜したとされる御所人形です。




顔が、レイザーラモンRGそっくり。
髪型もなんか雑なことになっていて、
細川たかしの真似をするレイザーラモンRGみたいなことになっています。
もし、皇后和宮から下賜されたものでなかったら、
おそらく現代まで残されることはなかったでしょう。




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