今年2020年は、戦後日本画の異才とも称された日本画家、横山操の生誕100年の節目の年。
それを記念して、現在、富山県水墨美術館では、
“生誕100年記念 日本画家・横山操展 -その画業と知られざる顔-” が開催されています。
出展数は、前後期合わせて約90点。
その中には、横山操の代表作である・・・・・
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
《塔》 も含まれています (注:ただし、展示は前期のみ)。
所蔵する東京国立近代美術館以外での展示は実に約25年ぶりとのこと。
もしかしたら、東京以外で観られる最初で最後の機会かもしれません。
ところで、《塔》 という名の割にはボロボロだなァと思った方もいらっしゃることでしょう。
こちらは、かつて谷中にあった五重塔。
その塔が放火された際に、知らせを聞きつけた横山は、
すぐさま鶯谷のアトリエから駆けつけ、焦げたてホヤホヤの塔をスケッチしたのだそうです。
さてさて。
今展では、ここ近年発見されたという初期の作品から。
晩年に描かれた絶筆まで、横山操の画業が余すことなく紹介されています。
冒頭を飾るのは、20歳の時に描かれたという 《自画像》。
ちょっと松田龍平似。
塩顔のイケメンです。
あまり裕福な家の出ではなかったそうで。
昼はポスターや看板描きの仕事をしながら、
夜は、川端龍子の画学校で日本画を学びました (←本当は洋画家を目指していたようですが・・・)。
美大などでアカデミックな授業は受けていないものの。
横山は持ち前のいかんなくセンスを発揮し、
若干20歳にして、川端龍子が主催する青龍社で 《波止場》 が入選します。
このままエリート街道まっしぐら・・・・・かと思いきや。
戦争に徴兵され、その後、シベリアに抑留。
20代の10年間まるまるを兵士として過ごすことを余儀なくされたのです。
それが彼の画家人生にとって、幸だったのか不幸だったのか、
30歳で帰国した後は、失われた10年を取り戻すかのように制作に取り組むことになりました。
強制的に、正当な画壇とは距離を置くこととなったため、
伝統的な日本画の枠には捉われない自由な作品を多く制作していきます。
こちらの 《犬吠》 や 《送電線》 もその頃に描かれた作品↓
ベルナール・ビュッフェやロシアン・アヴァンギャルドを彷彿とさせるものがあります。
が、しかし、洋画ではなく、あくまで日本画。
ロックな日本画です。
ちなみに、そんなロック時代 (?) の彼が武蔵野を題材に描いた絵も展示されていました。
伝統的には、武蔵野を題材にした絵というと、
ススキや秋草が生い茂るどこかうら寂しい光景が描かれているものですが・・・・・。
横山操の手にかかると、なぜかサバンナチックに!
溢れ出る 『ライオン・キング』 感。
抱き抱えられるシンバがどこから登場してもおかしくない印象です。
さて、その後、若き日より所属していた青龍社も脱退。
無所属となり、さらに作風はフリーダムになっていきます。
ある時は、水墨画風に。
またある時は、アニメ版の 『ゲゲゲの鬼太郎』 風に (←?)。
そして、またある時は、大観風に (←横山違い!)。
51歳という若さで、この世を去った横山操。
その波乱万丈で千変万化な画業を一気見できる展覧会でした。