東日本を代表する陶芸の街、益子。
今現在、数百人もの陶芸家が益子を拠点に活動しているそうです。
そんな陶芸の街の礎を築いた人物が、濱田庄司。
第1回の人間国宝にも認定された日本を代表する陶芸家です。
30歳の時に、益子に移り住んで以来、
84歳で亡くなるまで、益子で作陶を続けたのだそう。
そんな濱田庄司が晩年近くに開館させたのが、益子参考館。
こちらは、濱田庄司自身の作品はもちろんのこと、
濱田が蒐集した民芸品ややきものを展示するミュージアムです。
美術館でも、博物館でも、民芸館でもなく、参考館。
この 「参考」 という言葉には、作陶の参考として集めたコレクションから、
自身が受けた恩恵や喜びを人々と共有し、参考にして欲しいという意味が込められているそうです。
ちなみに、館内の地図はこんな感じ↓
おそらく皆様が想像しているよりは、広いです。
そして、山なのでアップダウンもあります。
歩きやすい格好で行かれることをオススメいたします。
ご参考までに。
さてさて、企画展ギャラリーに当たる1号館で現在、
開催されていたのは、“リーチと濱田Ⅱ” という展覧会です。
実は昨年2020年は、バーナード・リーチが濱田庄司を伴って、
イギリスのセント・アイヴスで開窯してからちょうど100年という節目の年。
こちらは、それを記念した展覧会では、
リーチと濱田の交流にスポットが当てられています。
陶芸家としてのイメージが強いリーチですが、
実は、もともとは画家を目指していたのだそう。
しかし、柳宗悦や富本憲吉との交流から陶芸に興味を抱くようになり、
6代尾形乾山に本格的に習って、のちに7代乾山を免許されるまでになります。
その頃に濱田庄司と出逢い、意気投合。
2人で、セントアイブスに渡り、
そこで西洋初の日本式の登り窯を持つリーチポタリーを開窯するのです。
ちなみに、こちらの 《ガレナ釉線刻蓋付壺》 は、
濱田が、そのリーチポタリーで作陶したものだそうです。
また、リーチと濱田はイギリスにおいて、
伝統的な陶器であるスリップウェアに魅了されたとのこと。
展示室では、イギリスから帰国し、
益子に移住したばかりの頃の濱田のこんな作品が紹介されていました。
もろにスリップウェアの影響を受けています。
ただ、本場イギリスのスリップウェアよりも、
スリップ (=装飾) がゴテゴテしておらず、控えめ。
濱田の人柄が表れているようです。
さて、濱田の作品をもっと観たい方は、敷地内にある濱田庄司館へ。
こちらでは、濱田の作品を中心に、
リーチや河井寛次郎ら仲間たちの作品が展示されています。
濱田の作品自体ももちろん良かったですが。
特に感銘を受けたのが、パネルで紹介されていた濱田の言葉です。
濱田が流し掛け (=器に釉薬をかける技法) をしていた際のこと。
柄杓で釉薬を掬い、大皿に向かって一気に流しかける濱田。
その間、たったの15秒の出来事でした。
それを観ていた人が驚いて、
「あまりにも早すぎて物足りなくない?」 と質問すると、
陶芸のプロフェッショナル・濱田は、こう答えたのだそうです。
実に、深い言葉です。
ただ、流し掛けしている濱田本人にとっては、15秒プラス60年でしょうが。
その様子を初めて見たその人にとっては、やはり15秒は15秒なわけで・・・。
煙に巻かれたような気がしたに違いありません。
ちなみに。
敷地内の2号館、3号館、4号館では、
濱田が蒐集した民芸コレクションが展示されています。
さすが日本民藝館2代目館長だけあって、
そのコレクションの質の高さは、日本民藝館に引けを取っていません。
数あるコレクションの中で一番印象に残っているのが、こちらの 《鷺絵大皿》 です。
円模様と鷺の絵は独立しているようにも見えますが。
007のオープニングのように、
鷺に銃口を向けている場面のようにも見えます。
のほほんとしたタッチとは裏腹に、緊迫した瞬間なのかもしれません。
益子参考館のみどころは他にも!
敷地の一番奥には、濱田が実際に使っていた工房や登り窯があります。
濱田尽くしのミュージアム。
それが濱田参考館。
濱田庄司のことが確実に好きになるミュージアムです。
・・・・・・ただm¥、だからといって。
お土産に濱田庄司Tシャツを買うかは、とても悩ましいところ。
日常でこの濱T (=濱田庄司Tシャツ) を着れる勇気がありません (笑)