冬の長野県立美術館に行ってきました。
雪深いとは事前に聞いていましたが、
想像していた以上に雪深かったです、、、
雪が積もっているため、屋上階の 「風テラス」 は封鎖。
中谷芙二子さんの霧の彫刻が見どころの 「水辺テラス」 も冬期休暇中。
谷口吉生さん設計の東山魁夷館の水盤も雪に埋もれていました。
これはこれで貴重な光景でしたが、
次に訪れるのは、冬以外の季節にしようと思います (笑)
さてさて、そんな冬の長野県立美術館で、
現在開催されているのが、“生誕100年 松澤宥” という展覧会。
長野県の下諏訪町に生まれ、その生涯のほとんどを下諏訪町で過ごした、
日本を代表するコンセプチュアルアーティストの一人、松澤宥 (ゆたか) の回顧展です。
学生時代は、早稲田大学理工学部建築学科で建築を学んでいたという松澤宥。
その卒業式後の謝恩会で、こんなことを語っていたそうです。
「私は鉄とコンクリートの固さを信じない。
魂の建築、無形の建築、見えない建築をしたい」
・・・・・・・いや、鉄とコンクリートの固さは信じろよ。
当然、こんな考えを持った人物が、普通の建築家になれるわけがなく。
卒業後、下諏訪に戻り、高校で数学の教師をしながら、アートを発信し続けました。
もともとは詩人として芸術活動を開始した松澤。
のちに、日本語を理解しない人にも詩を伝えるべく、
まるで絵画のような 「記号詩」 を発表するようになります。
その後、2年ほどアメリカへ留学。
帰国後は、再び高校教師に復職して、
伝説の前衛アート展 “読売アンデパンダン展” に参加するように。
この頃、「プサイの鳥」 と名付けた絵画シリーズや、
「プサイ函」 と名付けたオブジェの数々を発表しています。
なお、『プサイ』 というのは、松澤の代名詞のようなもの。
サイコロジー (psycholoy) から着想した心を表す言葉でもあり、
ギリシャ文字の最後 「Ω(オメガ)」のひとつ前が 「Ψ(プサイ)」 ゆえ、
現在が終末のひとつ前の時代であることを示唆する言葉でもあるのだそうです。
・・・・・・・・・・・・・。
と、この段階で早くも、頭の中が、
大量の 『?マーク』 で埋め尽くされつつありますが。
松澤宥のアートの真骨頂ともいえるのが、
1964年に発表した、いわゆる 「オブジェを消せ」 宣言です。
1964年6月1日未明、突然夢の中で、
松澤は 「オブジェを消せ」 という明示を受けたのだとか。
それから数日にわたって、徹夜でこの明示について、
検討に検討を重ねた結果、松澤は作品から物質性を一切排し、
美術作品を言語や意味といった非物質だけで制作することを目指すのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
展覧会では、「オブジェを消せ」 宣言後の作品の数々が紹介されていました。
・・・・・・・が、どれもこれも、本当によくわからなかったです。
ナンセンスやシュールで意味がわからない、のではなく。
頭の良すぎる人が頭の良すぎることを言っていて、凡人にはその意味が全くわからない。
そんな感じです。
例えば、代表作の 《消滅の幟》。
『人類よ 消滅しよう 行こう 行こう/ギャテイ ギャテイ 反文明委員会』。
そんな強烈なフレーズが書かれたピンク色の幟を、
1966年に大阪で初めて発表して以来、世界中で何十回と掲げ続けたそうです。
そのパフォーマンスの真意もよくわかりませんでしたが、
晩年近くの松澤がパフォーマンスする際の衣装が、
カーネル・サンダース風であることの真意もよくわかりませんでした。
一般的には、なかなか理解しにくい難解な松澤ワールドですが。
国際的には評価が高く、世界的な3大アートイベント、
ヴェネチア・ビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、ドクメンタの全てに出展しているほど。
また、美術界にも松澤の信奉者は多く、
瀧口修造や草間彌生、ギルバート&ジョージなど名だたる面々が、
わざわざ下諏訪を訪れ、彼のアトリエに足を運んでいます。
そんな美術界の伝説のアトリエともいわれる 「プサイの部屋」。
今展では、会場に再現されていました。
自宅の屋根裏にあったという24畳の細長い部屋。
そのサイズも完璧に再現されていました。
何よりも印象的だったのが、部屋の散らかりっぷり・・・。
モノが床に散乱しすぎていて、足の踏み場がほとんどありませんでした。
もしかしたら、この惨状に対して、
神様が松澤宥に掲示を与えたのかもしれませんね。
「(部屋を綺麗にするために) オブジェを消せ」 と。