世界の恒久平和と人類の繁栄を願う「ヒロシマの心」を、
美術を通して世界へ訴えることを目的とし、1989年に広島市が創設した芸術賞。
それが、ヒロシマ賞。
これまでに、三宅一生やロバート・ラウシェンバーグ、
蔡國強やオノ・ヨーコなど、そうそうたる面々が受賞してきました。
その第11回となるヒロシマ賞の受賞者となったのが、
チリ出身のアーティストで建築家で映像作家のアルフレド・ジャーです。
それを記念して、現在、広島市現代美術館では、
“第11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展”が開催されています。
本来であれば、この展覧会は、2020年夏に開催される予定でした。
しかし、コロナ禍で展覧会は休止に。
さらに、美術館の改修工事も始まったため、
結果的に、3年越しの満を持しての開催となりました。
そのため、美術館もアルフレド・ジャーも気合が入ったのでしょう。
出展作品9点のうち、実に6点が広島を題材にしたもので、
かつ、そのうちの5点が、今展のために制作された新作となっています。
正直なところ、東京から広島は地味に遠いので、
展覧会は気になっていたものの、訪れるか否か、かなり悩みました。
で、悩んだ末に、思い切って足を運んだわけですが、
率直な感想としては、「観てよかった!」の一言に尽きます。
テーマがテーマなので、決してハッピーな気持ちにはなれません。
むしろ、感情が揺さぶられ、グチャグチャになります。
それでも、観てよかった、と心から思える展覧会でした。
さて、ここからは特に印象に残った作品をご紹介いたします。
ただ、ネタバレなしで観るに越したことがないので、
展覧会を訪れる予定の方は、この先は読まない方がいいでしょう。
まず、印象的だったのが、こちらの作品。
黒い壁に3つの時計が並んで掛けられています。
長針と短針は止まっており、ある一定の時刻を指し続けています。
タイトルは、《広島、長崎、福島》。
そう聞けば、ピンときたことでしょう。
そう、この時計は左から、広島への原爆投下、
長崎への原爆投下、東日本大震災の発生時刻で止まっているのです。
ただ、それだけなら、誰かが思い付きそうなアイディアな気もしますが(←?)。
実は、この作品の時計は、秒針だけ動き続けているのです。
ジャー曰く、「人生はその後も続いていき、
そして、それは壊れやすく、不安定で、不確かなものである」とのこと。
秒針を動かすことで、それを示唆しているのだとか。
「止まる」と「動き続ける」が同時に存在していることで、作品にグッと深みが増していました。
この絶妙なセンスが、ジャーの最大の持ち味であるような気がします。
そんなジャーのセンスは、最新作《ヒロシマ、ヒロシマ》でも存分に発揮されていました。
まず、横10mの巨大なスクリーンに映し出されたのは、
ドローンで撮影したという現在の広島市内の上空からの映像です。
そして、その映像が徐々に原爆ドームに近づいていき、真上で止まります。
そう言えば、原爆ドームを真上から観たことがなかったので、
“へー、真上から見ると車輪みたいな形になってるんだ”などと、思っていると、
いきなり、その車輪みたいなのがグルグルと回り始めました。
仮面ライダーの変身ベルトみたいに。
そして、次の瞬間。
スクリーンが上がり、その裏から、
数台の大型サーキュレーターが姿を現しました。
で、強風を食らいました。
事前に、「強風にご注意ください」との案内はありましたが、
それを知った状態でも、いきなりの強風に、ちょっと恐怖心を覚えたほど。
“わしゃT.M.Revolutionか!”などと、楽しむ余裕はその時は無かったです。
原爆がいきなり落とされた時って、こんな感じだったのだろう。
そう、直感的に思わされる作品でした。
戦争の悲惨さや死をテーマにした作品が大半ですが、
中には、ほのぼのと平和を感じられる作品もありました。
それが、こちらの《音楽(私の知るすべてを、私は息子が生まれた日に学んだ)》。
緑の光が差し込むこの空間の中央には、
広島の県木であるモミジが植えられています。
そして、意味深なデジタル時計も設置されています。
しばらく、この空間でボーっとしていると、
どこからともなく、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
一瞬、ホラー?かと思い、
ビクッとしてしまいましたが、
どうやら赤ちゃんの幽霊ではないとのこと。
なんでも、広島市内の病院の協力を得て録音されたという、
82名の新生児の産声が、出生時刻と同じ時間に流れる仕掛けなのだとか。
ちなみに。
こちらの壁に書かれているのが、82名分の誕生時刻です。
11時~12時が激アツでした(←?)。