現在、泉屋博古館東京で開催されているのは、
“楽しい隠遁生活―文人たちのマインドフルネス”という展覧会。
「隠遁」をテーマにした展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
まず、展覧会の冒頭で紹介されているのが、
実際に隠遁生活を行っていた人物を描いた絵画の数々。
正直なところ、隠遁生活と聞いても、
誰一人パッと頭に思い浮かびませんでしたが、
実は意外と、隠遁生活を行っていた歴史上の人物は多かったです。
例えば、こちらの人物。
だるまさんこと達磨です。
インド出身だった達磨は、中国へ渡り、布教を行うも、
武帝に理解されなかったことから、孤独な隠遁生活に入りました。
なお、雪舟が描いた国宝の《慧可断臂図》も、
隠遁生活中の修行での1場面が描かれたものです。
また例えば、こちらのグループ。
中国の晋の時代に、俗世間を避け、竹林に集まり、
酒を飲んだり、琴を弾いたり、清談をしたという7人の隠遁生活者。
通称、竹林の七賢です。
のほほんとした楽しい生活のような印象を受けますが、
当時の中国で自由奔放な発言をするのは死の危険もあったとのこと。
隠遁生活するのも、命がけだったのですね。
他にも、展覧会では、孔子や諸葛孔明、陶淵明、
日本人では西行法師や松尾芭蕉、鴨長明などが紹介されていました。
それらの隠遁生活者の中で、特に印象的だったのが、許由なる人物。
廉潔な人格として世間に知られていたため、
当時の堯帝は、彼に帝位を譲ろうと申し出ました。
すると、それを聞いた許由は潁水という川に向かい、
「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすぎ洗ったのだとか。
そして、そのまま隠遁生活に入ったそうです。
なお、こちらの橋本雅邦の《許由図》には、
許由のこんなエピソードが描かれています。
隠遁生活中、最低限のモノしか持っていなかったという許由。
水も手で掬って飲んでいたそうです。
それを見かねた人が、瓢箪をプレゼント。
許由も気に入って使っていたそうですが、
ある日、その瓢箪を木の枝に掛けたところ、
松の音を聴くのに、邪魔な音が出てしまいました。
その音が気に入らないとして、瓢箪を即、割って捨ててしまったそうです。
廉潔な人格なのかもしれませんが、
エピソードだけ聞くに、地雷の多いエキセントリックなヤツ。
正直なところ、世間から離れ、
隠遁生活しててくれて良かった、とさえ思いました。
さてさて、展覧会の後半では、
理想の隠遁生活を描いた絵の数々が紹介されています。
理想の隠遁生活に欠かせないものの一つが、滝。
俗世を離れた隠遁生活たちの多くは、
滝を眺めながら、日々を過ごしたそうです。
そんな隠遁生活を自宅でも疑似体感しようと、
このような滝のある絵が描かれ、床の間に飾られたのでしょう。
また、疑似隠遁生活の上級者(?)ともなると、
滝の絵をただ飾るだけでなく、こういった見立ても楽しんでいたようで。
狩野元信の弟子、長吉による《観瀑図》の前に置かれていたのは、
15代住友家当主の春翠が手に入れたという中国・清時代の印材です。
そこには、水中で遊ぶ魚が掘り出されています。
なるほど。滝と魚(鯉)で、登竜門の故事に見立てているのですね。
会場では他にも、さまざまな取り合わせが見て取れます。
隠遁生活を疑似体験した人の生活を、
疑似体験できるような展示空間になっていました。
この展覧会を通じて、隠遁生活をしてみたくなった!
もしくは、隠遁生活スタイルを取り入れてみたくなった!
そう思われる方は、少なくないでしょう。
自身の今の生活に疑問を抱いている方、
あるいは、セカンドライフについて考え始めている方、
そんな人たちにピッタリの展覧会と言えましょう。
ちなみに。
泉屋博古館東京では現在、同時開催として、
“特集展示 住友コレクションの近代彫刻”も開催中。
それらの中に、こんなものも展示されていました。
こちらは、皇居外苑にある楠木正成銅像の頭部木型です。
楠木正成銅像は幾度となく目にしていますが、
兜をかぶっているため、楠木正成の顔はよく見えず。
初めてちゃんとお顔を拝見できました。
眉毛が尋常ではなく太いですね。
眉毛というより、ほぼ筆です。