現在、三鷹市美術ギャラリーで開催されているのは、
“HAIBARA Art & Design 和紙がおりなす日本の美”という展覧会。
日本橋に店舗を構える和紙舗「榛原」にスポットを当てた展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
榛原が創業したのは、1806(文化3)年。
実に200年以上の歴史を誇る日本を代表する和紙舗です。
熱海製の雁皮紙という高級な和紙を、
江戸の庶民に向けて、一早く販売したことで評判となりました。
雁皮紙は墨の付きがとても良く、
書き心地も滑らかなことで知られています。
現代よりも、手紙を書くことが多かった時代において、
サラサラ文字が書ける紙は、今以上に重宝されていたはず。
現代に例えるならば、通信速度が速い5Gみたいな存在だったのかもしれません。
・・・・・と、それはさておきまして。
榛原が素晴らしい和紙舗であるのは重々承知していますが。
一つの展覧会として成立するほどに、展示するものがあるのでしょうか??
と思っていたら、その心配はまったくの杞憂に終わりました。
まず展示の柱の一つとなるのが、
榛原がこれまでに手掛けた千代紙のコレクション。
今まで意識したことがなかったのですが、
実は、千代紙は彫師と摺師の職人技によって作られています。
そう、浮世絵や木版画と同じように作られた美術品なのです。
事実、海外の美術館にも、榛原の千代紙は収蔵されているとのこと。
日本を代表する工芸品として、高く評価されているそうです。
また、同時代の芸術家がデザインを手掛けた千代紙も多くあるようで。
例えば、こちらは「円山派最後の巨人」とされる川端玉章による千代紙です。
そして、こちらは「大正の歌麿」と謳われた竹久夢二による千代紙。
山みちという名前が付いていましたが、
初期のファミコンのバグ画面のようにも見えます。
意外なところでは、河鍋暁斎がデザインした千代紙もありました。
さすがは、「画鬼」と呼ばれた河鍋暁斎。
他の千代紙とは違って、
花をモチーフにしているとはいえ、鬼気迫るものがありました。
圧が強い、というかなんと言いましょうか。
また、千代紙以外には、
団扇や団扇絵のコレクションも紹介されています。
それらの中には、川瀬巴水や藤島武二、
川合玉堂、鏑木清方といったビッグネームが手掛けたものもありました。
また、紹介されていた中には、
企業や自治体の依頼で作られたものも。
いやはや、ノベルティのうちわは、
意外と歴史が深いものだったのですね。
普通に勉強になりました。
他にも、榛原が手掛けた絵封筒や熨斗、
さらには、今まさにシーズン真っ盛り(?)のポチ袋も紹介されています。
展覧会を通じて改めて、
僕らの身の回りには、思っている以上に、
紙が溢れていることに気づかされました。
日本人にとって和紙は切っても切り離せないものだったのですね。
榛原の歴史を通じて、日本の文化を知る。
非常に意義深い展覧会でした。
シャ●ルとか、クリスチャン●ィオールとか、イ●サンローランとか。
ここ近年、海外のブランドを紹介する展覧会が増えている気がしますが。
こうした日本のブランドに目を向けた、
三鷹市美術ギャラリーの着眼点、企画力に感服です。
ちなみに。
榛原の三代目当主榛原直次郎は、
美術に関心が特に高く、当時の芸術家と交流も深めていたそうで。
個人的にも美術品をコレクションしていたようです。
本展では、そのうちの一部が紹介されています。
それらに混じって、板橋区立美術館が所蔵する、
漆芸家の柴田是真の《花瓶梅図漆絵》も展示されていました。
なぜに、ここに展示されているのだろうと思ったら、
この作品は三代目当主榛原直次郎の旧蔵品なのだとか。
思いがけず、柴田是真の代表作に出逢えて嬉しい限りです。
思いがけず出逢えたといえば、こんなものも。
こちらは、竹久夢二が恋人でモデルのお葉に宛てた直筆の手紙。
三鷹市所蔵とのことですが、なかなか展示する機会のないレアな所蔵品だそうです。
なお、この便箋も封筒も榛原のもので、デザインしたのは、夢二自身なのだとか。
当時の人は、手紙の内容に合わせて、便箋の絵柄を変えてもいたそう。
現代でいえば、LINEの背景を変える感じでしょうか。
※会期中、一部展示替えあり