一流の建築家やデザイナーによって生み出された、
優れたデザインの椅子を数多く所蔵している埼玉県立近代美術館。
そんな「椅子の美術館」こと埼玉県立近代美術館が、
満を持して開催するのが現在開催中の“アブソリュート・チェアーズ”です。
(注:展示室内は一部撮影可。写真撮影は、特別に許可を得ております。)
本展で紹介されているのは、
建築家やデザイナーが作った椅子・・・・・ではなく。
アーティストが制作した椅子作品、
あるいは、椅子をモチーフにした美術作品など、
アートの視点で選ばれた椅子の数々を紹介するものです。
アート×椅子。
正直なところ、これまで一度も意識したことはなかったですが。
本展を通じて、意外とその数の多さ、
そして、その幅の広さに気づかされました。
例えば、マルセル・デュシャンによる《自転車の車輪》。
既製品の椅子に車輪を取り付けることで、
椅子の“座る”という用途を取り払い、無意味化させています。
また例えば、オノ・ヨーコさんによる《白いチェス・セット/信頼して駒を進めよ》。
こちらは体験型の作品で実際に座って、チェスで対決することができます。
(ただし、本展に限っては平日のみ)
しかし、盤上や駒がすべて白一色なので、
文字通り、白黒決着がつかないという作品です。
他にも、電気椅子をモチーフにしたウォーホルの作品や、
ナフタリンでできた椅子を樹脂で覆った宮永愛子さんの作品、
ベンチに横たわれないように施された構造物、
いわゆる「排除アート」に、あえて楽しげな装飾を加え、
撮影したダイアナ・ラヒムの「インターベンションズ」シリーズなどなど、
古今東西のアーティスト28人(組)による83点が紹介されています。
よくよく考えてみると、
仕事をする時も、休む時も、
椅子は欠かせないアイテムです。
さらに、玉座や社長の椅子といったように、
椅子そのものが何かの象徴になることもあります。
あまりにも身近なものなので、
深く考えたことは無かったのですが、
日用品の中でもっとも美術のモチーフに選ばれているのは、椅子なのかも。
少なくとも、机やテーブルよりは選ばれている気がします。
「椅子の美術館」ならではの素晴らしい企画の展覧会でした。
ちなみに。
埼玉近美が所蔵している名作椅子は、
実際に来館者が座ることができますが。
残念ながら、本展の出展作品の多くは、物理的に座ることができません。
とはいえ、山田毅さんと矢津吉隆さんによる資源循環プロジェクト、
「副産物産店」が本展のために制作した椅子は実際に座ることができます。
これらは使われなくなった作品輸送用のクレートや、
アーティストのスタジオから出た廃材などで作られたもの。
座り心地はそれぞれ異なるので、
目とお尻でその違いをお楽しみくださいませ。
また、岡本太郎の《坐ることを拒否する椅子》も、
オレンジ色と紺色のものに限っては、座ることができました。
椅子サイド(?)は拒否しているのに、
美術館サイドは坐ることを許可を出しているという。
「スワハラ(=座るハラスメント)」にならないか、若干ビクビクしながら座ってみました。
最後に、本展の出展作品の中で、
特に印象に残っているものをいくつかご紹介しましょう。
まずは、昨年、プラダ青山ビルにて個展が開催されていた、
アメリカを代表するビデオアートの先駆者の一人、ダラ・バーンバウムから。
本展では3本の映像作品が紹介されていました。
それぞれ、椅子が重要な要素となっています。
テキストやセリフは一切なく、動きだけ。
その動きはどことなく島田珠代さんを彷彿とさせるものがありました。
続いて、ハンス・オプ・デ・ビークの《眠る少女》。
眠る少女も、その上に掛けられた毛布も、
ソファと同じ色、同じ素材になっていました。
まさに、溶けるように眠る少女。
ちょっとやそっとでは起きなさそうです。
最後に紹介したいのは、ミシェル・ドゥ・ブロワンの《樹状細胞》。
カナダ出身の彼が、本展のために初来日し、
センターホールの吹き抜けに制作したものです。
使われているのは、何の変哲もない会議用椅子。
それら約40脚が集まって、細胞のような球体を形作っています。
なお、それぞれは連結しておらず、
緻密な計算のうえ、1脚ずつ上から吊るされているとのこと。
このようにどこから見ても完璧な球体が完成するまでに、1週間ほどかかったそうです。
ちなみに。
余談も余談ですが、
さまざまなアートの椅子を目にしたからでしょう。
監視員さん用の椅子さえも、
何らかの美術作品のように思えてしまいました。