「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
というフレーズが印象的な詩 『道程』 や、
「智恵子は東京に空が無いという」
というフレーズが登場する詩集 『智恵子抄』 が有名なために、
すっかり詩人としてお馴染みの感のある高村光太郎 (1883~1956) ですが。
下にある 《手》 をはじめ、彫刻作品も数多く残しています。
1918年頃 個人蔵 撮影:髙村規
・・・・・というか、実は、本職は、彫刻家です。
そこで (?) 、生誕130年の節目に、
千葉市美術館にて、 『彫刻家・高村光太郎』 をフィーチャーした美術展が開催されています。
“生誕130年 彫刻家・高村光太郎展” は、8月18日まで開催中です。
詩人としての高村光太郎しか知らなかった人にとっては、
高村光太郎と彫刻というキーワードが、全く結びつかないことでしょうが。
日本美術に少しでも興味がある人ならば、
江戸末期から明治期に活躍した彫刻家・高村光雲の名は聞いたことがあるはず。
もし、その名は知らずとも、彼の代表作は目にしたことがあるはずです。
そう。上野の西郷さんです。
この銅像を作った彫刻家・高村光雲の長男が、何を隠そう (←?) 高村光太郎。
高村光太郎の前には、きっちり彫刻家としての道はあったのですね (笑)
今回の美術展では、彼が強く影響を受けたロダン風のブロンズ彫刻が多く展示されています。
とても19歳の作品とは思えない 《獅子吼》 のように、
1902年 東京藝術大学蔵 撮影:髙村規
目を見張る作品も、いくつかはありましたが。
全体的には、ロダンの影響を受け過ぎていて、
ロダンの影響を抜け切れていない、 「ロダンっぽい」 作品が多かった気がします。
同じ会場に、本物のロダンの作品も紹介されていたせいで、
どうも高村光太郎の 「ロダンっぽい」 作品たちが、霞んでしまっていた印象を受けました。
ただ、そんなブロンズ彫刻たちに比べると、
木彫家として名を馳せた父のDNAを色濃く受け継いだからでしょうか、
《蝉 3》 や、
1924年 個人蔵 撮影:髙村規
《柘榴》 をはじめ、
1924年 個人蔵 撮影:髙村規
高村光太郎の木彫作品には、ハズレな作品が一つもありませんでした。
どの作品も愛らしくて、どの作品もユーモラス。
手に乗るくらいのサイズということもあり、
思い余って、持って帰ってしまいたいほどでした (←?)
高村光太郎の木彫作品コーナーは、
美術展全体からすると、一部のコーナーに過ぎなかったのですが。
間違いなく、今回の美術展のメインであり、最大の見せ場であった気がします。
最後に、個人的に、どうしても気になったことを。
美術展の後半で、妻である智恵子が制作した紙絵が紹介されていたのですが。
《くだものかご》(部分)1937-38年 個人蔵 撮影:髙村規
綺麗には綺麗で、見応えはあったのですが、
ちょっと紹介するどころではない数の智恵子作品が展示されていました。
そのせいで、美術展の後半には、ほとんど主役である高村光太郎の作品が登場せず・・・。
「とに~は会場に高村光太郎の作品が無いという」
と、戸惑ってしまいました(笑)
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生誕130年 彫刻家・高村光太郎展
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