現在、ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクションでは、
“浜口陽三・丹阿弥丹波子 二人展 はるかな符号 大岡亜紀の詩と共に” が開催されています。
浜口陽三 (1909~2000) と丹阿弥丹波子 (1927~) 。
生前は交流もあったという2人の版画家のメゾチント作品を紹介する美術展です。
(メゾチントに関しては、こちらの記事で詳しく紹介しています)
不勉強にも、丹阿弥丹波子 (たんあみにわこ) さんを、今日の今日まで存じ上げなかったのですが。
実は、50年以上もメゾチント作品を発表し続けている版画家なのだそうです。
メゾチントという技法は同じにも関わらず、
「こんなにも違うのか!」 というくらいに、浜口陽三と丹阿弥丹波子さんの作品世界は違いました。
浜口陽三の作品が詩的で柔らかな印象だったのに対し、
《17のさくらんぼ》
丹阿弥丹波子さんの作品は、緊張感が張り詰めていて武士のような印象でした。
《晩夏》
《机の上》
浜口陽三のほうが女性的で、丹阿弥丹波子さんのほうが男性的。
“おれがあいつであいつがおれで” のような感じです。
また、浜口陽三の作品が、どちらかと言えば装飾的で平面的なのに対し、丹阿弥丹波子さんの作品は立体的。
そこに実際にモチーフがあるように感じられます。
《ヒヤシンス》 という作品にいたっては、3D映像のように飛び出してくる錯覚を覚えたほどでした。
ただ、何よりも不思議なのは、そんなにも実在感を覚えてしまうのに、
丹阿弥さんの作品は、そこまで完璧に写実的に描かれているわけではないということです。
よく見ると、ガラスが歪んでいたり、モチーフの一部がナナメっていたり。
《棚》 という作品に関しては、
コップのフチと底の見え方が、ヘンなことになっていたり。
それでも作品が崩壊せず、むしろ説得力すら感じてしまうところに、
丹阿弥丹波子さんという銅版画家の凄味のようなものを感じました。
丹阿弥さんの作品を、侍のようで男性的と評してきましたが。
もちろん、《夏の思い出》 のように、女性らしい作品もありました。
ご本人と面識もないのに、男らしいという発言ばかりしてしまって申し訳ありません。
ちなみに。
“浜口陽三・丹阿弥丹波子 二人展 はるかな符号” と同じタイミングで、
丹阿弥丹波子さんの初となる本格的な回顧展 “時のきらめき 丹阿弥丹波子 銅版画展” が、
茅ヶ崎市美術館にて6月7日まで開催されています。
気になった方は、こちらも要チェック。
5位以内を目指して、ランキングに挑戦中!(現在10位です)
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!
↧
浜口陽三・丹阿弥丹波子 二人展 はるかな符号
↧