現在、出光美術館では、 “没後180年 田能村竹田” が開催中です。
こちらは、幕末を代表する文人画家・田能村竹田の没後180年を記念した展覧会で、
実に18年ぶりに出光美術館が誇る田能村竹田コレクションが大体的に紹介されています。
田能村竹田の作品は、幕末をテーマにした絵画展などで、
これまで何度も目にしていますが、特にコレといった印象がありませんでした。
それだけに、今回のようにまとまった形で田能村竹田の作品が、
それも、重要文化財の 《梅花書屋図》 をはじめとする・・・
田能村竹田の一級の作品が目にできるとあって、密かに期待していたのですが。
この展覧会をもってしてでも、特にコレといった印象が持てませんでした (笑)
無難も無難、たぶんそういう画家なのです。
会場に展示されていた数ある田能村竹田の逸品よりも、
参考として出品されていた中国の文人画家のそこそこの作品や、
王諤 《雪嶺風高図》
池大雅や与謝蕪村といった他の文人画家のそこそこの作品のほうが、よっぽど印象に残ったくらいです。
池大雅 《蜀桟道図》
以前、 『開運!なんでも鑑定団』 にて、
「田能村竹田の作品は、十本あれば十一本が偽物」
と、安河内さんが仰っていたのを聞いて、
「なるほど。そんなに人気がある画家なのか~」
と思ったものですが。
もちろん人気もあるのでしょうが、
それ以上に、偽物を作りやすい (=そこまで巧くない) という理由が大きいような気がしてきました。
決して下手ではないのですが、そこまで巧いわけでもありません。
そして、そこまで個性もありません。
強いて挙げれば、自信の無さの現れなのか、
風景に対して人や動物が小さすぎるというのが、一つの個性だったかもしれません。
例えば、 《松屋伴鶴図》 という一枚。
画題が鶴でありながら、主役の2羽の鶴 (?) は、驚くほど小さく描かれています。
自分は愛用の単眼鏡があったので、
どうにか鶴を発見できましたが、肉眼ではほぼ発見不可能です。
この絵を当時買った人と友人の間では、きっとこんなやり取りがあったに違いありません。
「あのさ、田能村竹田の鶴の絵買ったんだよね」
「マジで?」
「ほら、あそこの床の間に飾ってあるヤツ」
「えっ、鶴いなくね?」
「いや、2羽いるって」
「いないって!」
「もっと近づいてみろよ」
「ん・・・どこよ?」
「だから、ここだって (怒)」
「・・・あぁ」
田能村竹田の作品が、あまりに細かすぎて伝わらないため、
一部の作品には、細部を拡大したパネルを併せて紹介するという措置が取られていました。
しかし、細部を拡大したパネルが無い作品についても、
細かな部分が鑑賞ポイントとして紹介されているので、やや不親切な印象を受けました。
例えば、《蕉陰喫茶図》 のキャプション内に、
『人物の描写を見ると、輪郭や眼、鼻、口部は細部を幾度となく重ねてモデリングし~』
とあったのですが・・・
肉眼ではほぼ判別不能でした。
キャプションの中の人 (←?) は、
サンコンさんくらいの視力がある人を想定して書いているのでしょうか。
田能村竹田の山水画に関しては、個人的にはどれもピンと来ませんでしたが。
静物画には、ほのぼのとさせられました。
特にお気に入りは 《果蔬草虫図巻》 内に描かれた栗の絵です。
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没後180年 田能村竹田
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