渋谷区立松濤美術館で開催中の “スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり” に行ってきました。
こちらは、日本神話に登場する荒ぶる神・スサノヲをテーマとし、
古来よりスサノヲに抱かれてきたイメージを様々な角度から紹介した展覧会です。
今年の1月から3月にかけてDIC川村記念美術館にて開催されていたもので、
その後、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館で開催され、渋谷区立松濤美術館へと巡回してきたそうです。
“巡回するって知っていたら、DIC川村記念美術館に行かなかったものを。。。”
という考えが、一瞬頭をよぎってしまったのは、ここだけの話 (笑)
結果としては、DIC川村記念美術館で先に、
“スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり” を観ておいて良かったと思いました。
その理由は、おいおい。
さて、展覧会は大きく分けて、3つのパートに分かれます。
一つは、スサノヲそのもの (もしくは、スサノヲから変容した神や仏) を紹介するパート。
狩野時信 《素戔嗚神》 (部分)
江戸時代(17世紀) 絹本着色118.0×45.3cm 出雲大社
そして、もう一つは、いろいろな側面を持つスサノヲを彷彿とさせる人やモノを紹介するパート。
例えば、縄文土器は、「自然の脅威を想起させる」 のでスサノヲっぽいのだとか。
《深鉢突起破片》
縄文時代中期(BC3000~2000年) 27.0×16.0×13.0cm 京都造形芸術大学芸術館
日本全国を旅した円空や松尾芭蕉らは、タカマノハラを追放され漂泊したスサノヲっぽいのだとか。
円空 《大黒天立像》
江戸時代 木造 45.5×22.0×14.0 天河大辨財天社
自然との共生を真剣に考え、真剣に憤った南方熊楠や田中正造らは、
その清らかな怒り (?) が、実にスサノヲぽいのだとか。
南方熊楠 《菌類彩色図譜 (F.2767)》
1921年11月6日 水彩、インク、紙 27.5×19.7cm 国立科学博物館
正直なところ、このパートは、こじつけ感がハンパなくて、常人にはついていけない気がしました (笑)
とは言え、ここまでは、いい意味で怪しげな展示品満載なので、
いい意味で怪しげな建築の渋谷区立松濤美術館の雰囲気にピッタリ。
オシャレなDIC川村記念美術館で展示されていた時よりも、3割増しで展示品の魅力が増していたと思います。
が!
展示のラストを飾るスサノヲ的な現代美術を紹介するパートで、「・・・・・。」。
展示室のスペースの関係上、仕方がないのはわかりますが。
DIC川村記念美術館で展示されていた量の8分の1くらいしか展示されていませんでした。
2時間特番が15分番組くらいに短縮されていた印象。
ディレクターズカット版にもほどがありました。
DIC川村記念美術館では、1人のアーティストにつき、数点紹介されていたのですが。
渋谷区立松濤美術館では、1人のアーティストにつき、1点のみ。
佐々木誠 《八拳須》
2011年 木彫 彩色 作者蔵
あろうことか、岡本太郎の 《装える戦士》 は、完全カットの憂き目に遭っていました。
(まぁ、現代アーティストではないですが)
ただでさえ、 “スサノヲ的な現代美術” というのが、よくわらかないのに。
作品数を減らしてしまっては、もっとわからなくなるのは自明の理。
だったら、最初から諦めて、
スサノヲ的な現代美術を紹介するパートそのものを無くしてしまえば良かった気がしました。
DIC川村記念美術館ver.と比べて、良かった部分もありましたが。
それと同じくらいに、いや、それ以上に悪かった部分もあった渋谷区立松濤美術館ver.。
2歩進んで3歩下がる、という感じでしょうか。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!
こちらは、日本神話に登場する荒ぶる神・スサノヲをテーマとし、
古来よりスサノヲに抱かれてきたイメージを様々な角度から紹介した展覧会です。
今年の1月から3月にかけてDIC川村記念美術館にて開催されていたもので、
その後、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館で開催され、渋谷区立松濤美術館へと巡回してきたそうです。
“巡回するって知っていたら、DIC川村記念美術館に行かなかったものを。。。”
という考えが、一瞬頭をよぎってしまったのは、ここだけの話 (笑)
結果としては、DIC川村記念美術館で先に、
“スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり” を観ておいて良かったと思いました。
その理由は、おいおい。
さて、展覧会は大きく分けて、3つのパートに分かれます。
一つは、スサノヲそのもの (もしくは、スサノヲから変容した神や仏) を紹介するパート。
狩野時信 《素戔嗚神》 (部分)
江戸時代(17世紀) 絹本着色118.0×45.3cm 出雲大社
そして、もう一つは、いろいろな側面を持つスサノヲを彷彿とさせる人やモノを紹介するパート。
例えば、縄文土器は、「自然の脅威を想起させる」 のでスサノヲっぽいのだとか。
《深鉢突起破片》
縄文時代中期(BC3000~2000年) 27.0×16.0×13.0cm 京都造形芸術大学芸術館
日本全国を旅した円空や松尾芭蕉らは、タカマノハラを追放され漂泊したスサノヲっぽいのだとか。
円空 《大黒天立像》
江戸時代 木造 45.5×22.0×14.0 天河大辨財天社
自然との共生を真剣に考え、真剣に憤った南方熊楠や田中正造らは、
その清らかな怒り (?) が、実にスサノヲぽいのだとか。
南方熊楠 《菌類彩色図譜 (F.2767)》
1921年11月6日 水彩、インク、紙 27.5×19.7cm 国立科学博物館
正直なところ、このパートは、こじつけ感がハンパなくて、常人にはついていけない気がしました (笑)
とは言え、ここまでは、いい意味で怪しげな展示品満載なので、
いい意味で怪しげな建築の渋谷区立松濤美術館の雰囲気にピッタリ。
オシャレなDIC川村記念美術館で展示されていた時よりも、3割増しで展示品の魅力が増していたと思います。
が!
展示のラストを飾るスサノヲ的な現代美術を紹介するパートで、「・・・・・。」。
展示室のスペースの関係上、仕方がないのはわかりますが。
DIC川村記念美術館で展示されていた量の8分の1くらいしか展示されていませんでした。
2時間特番が15分番組くらいに短縮されていた印象。
ディレクターズカット版にもほどがありました。
DIC川村記念美術館では、1人のアーティストにつき、数点紹介されていたのですが。
渋谷区立松濤美術館では、1人のアーティストにつき、1点のみ。
佐々木誠 《八拳須》
2011年 木彫 彩色 作者蔵
あろうことか、岡本太郎の 《装える戦士》 は、完全カットの憂き目に遭っていました。
(まぁ、現代アーティストではないですが)
ただでさえ、 “スサノヲ的な現代美術” というのが、よくわらかないのに。
作品数を減らしてしまっては、もっとわからなくなるのは自明の理。
だったら、最初から諦めて、
スサノヲ的な現代美術を紹介するパートそのものを無くしてしまえば良かった気がしました。
DIC川村記念美術館ver.と比べて、良かった部分もありましたが。
それと同じくらいに、いや、それ以上に悪かった部分もあった渋谷区立松濤美術館ver.。
2歩進んで3歩下がる、という感じでしょうか。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!