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Channel: アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
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画家の詩、詩人の絵

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平塚市美術館で開催中の “画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく に行ってきました。
こちらは、画家が詠んだ詩を、その絵画作品とともに、
もしくは、詩人が描いた絵を、その詩ととともに紹介する展覧会です。

「詩人と画家、

 それはふたつの人種ではない。

 二人はある日、どこかで出会ったのだが、

 あとから確かめるすべもなく

 ふたつが、ひとつのものの
        
           なかで出会う。」


という詩を、瀧口修造が残しているのですが。
まさにその通りで、画家と詩人の境界線は、実はそこまでハッキリしておらず、
意外と曖昧なものなのかもしれないということを実感させられる興味深い展覧会でした。
星星


さてさて、展覧会は、画家のパート、詩人のパートに分かれています。
画家のパートでは、画家を紹介するキャプションはあるものの、
展示作品を解説するキャプションは無く、その代りに、その画家が詠んだ詩が作品の隣に添えられていました。
例えば、

温泉


青木繁の 《温泉》 の隣に添えられていたのは、

「真裸を水鏡する温泉や

膚ぞ温くき百合の咲く谷」


という詩。
このように詩が添えられることで、作品の持つイメージが増幅されていたのが、とても印象的でした。
ただ、たまには、作品の持つイメージが、マイナスの方向に増幅されすぎてしまっていたものも・・・。
こちらは、22歳で夭折した天才画家・村山槐多が描いた 《裸婦》 という一枚。

裸婦


普通に展示されていたなら、 “あぁ、まぁ、裸婦画だなぁ” くらいの感想で終わっていたのでしょうが。
添えられていた詩が、かなり強烈でした。

「どうぞ裸になって下さい

 うつくしいねえさん

 どうぞ裸になって下さい

 まる裸になって下さい

 ああ 心がをどる

 どんなにうつくしかろ

 あなたのまる裸

 とても見ずにはすまされぬ

 どうぞ裸になって下さい」



・・・・・・・・・・。
時代が時代だから許されたのかもしれませんが。
現代では、いろいろアウトな気がします (笑)


青木繁、竹久夢二から、草間彌生さん、鴻池朋子さんまで。
実に様々なタイプの画家の作品と詩が紹介されていましたが。
個人的に特に心に残ったのは、三岸好太郎と、

三岸好太郎  《海洋を渡る蝶》


長谷川潾二郎の2人の作品でした。

長谷川潾二郎《窓とかまきり》  《窓とかまきり》


もちろん2人の作品にも詩が添えられていたのですが。
詩が無くても、十分に絵自身が詩的と言いましょうか。
むしろ、詩が無いほうが詩を感じられる、不思議な味わいの作品でした。


さてさて、画家のパートのあとは、詩人のパートへ。
宮沢賢治が描いた絵をはじめ、

宮沢賢治《日輪と山》  《日輪と山》 


正岡子規、北原白秋、中原中也など、
「あの詩人は、こういう絵を描くんだ!」 という驚きのオンパレードな展示でした。
ただ、全体的に、絵としてはそこまで面白味がないものが多かったです (笑)
だから、彼らは詩人として活躍したのでしょう。

今回紹介されていた詩人の中で、とりわけ異彩を放っていたのが、新国誠一です。

雨  《雨》


彼が制作したのは、視覚的な詩。
詩人の絵というよりは、詩人のタイポグラフィといった感じでしょうか。
どう読めばいいのか、全くわからないですが、眺めていて不思議と心地良かったです。


今回紹介されていた画家や詩人以外にも、
詩を得意とする画家や、絵をたしなむ詩人がいることでしょう。
それこそ (?)、326 (みつる) さんとか。
是非とも、平塚市美術館の風物詩にして頂きたい展覧会です。




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