昨年も、この時期に、
“江戸民間画工の逆襲” という無料の江戸絵画展を開催してくれた板橋区立美術館ですが。
今年も、板橋区立美術館は太っ腹!
またも無料で観れる江戸絵画展を開催してくれています。
“奥絵師・木挽町狩野家~お殿さまに仕えた絵師たちの250年~” は、5月6日まで。
これは、行くしかありません!
今回の美術展の見どころは、何と言っても、
木挽町狩野家の初代から最後の当主までの系譜を辿れること。
木挽町狩野家のの当主が、一挙勢ぞろいしているのです。
「・・・ん?木挽町狩野家って何ぞや??」
そういう方が大半でしょうから、まずは、簡単にご説明を。
室町時代の中期から江戸時代の末期まで、
実に400年以上にわたって画壇の中心にあった日本絵画史上最大の画派。
それが、狩野派。
江戸時代、狩野派は、もっとも権勢を高めます。
というのも、幕府の御用絵師として、もはや向かうところ敵なし。
血族に、弟子に。
組織の人数は、膨大な数となり、ピラミッド的な組織を形成するまでになりました。
その頂点を占めるのが、 「奥絵師」 と呼ばれる4家でした。
奥絵師は、旗本と同格の扱いで、
将軍へのお目見えと帯刀が許されたというのですから、その格式の高さは半端ではありません。
(絵師なのに、刀?!)
ちなみに、その4家というのが、中橋・鍛冶橋・木挽町・浜町です (←住んでいる地名に由来)
今回、美術展で取り上げられている木挽町狩野家は、
《唐獅子図》 で知られる狩野永徳の息子・孝信の次男である尚信の系統に当たります。
(家系図がないと、もはやよくわからないでしょうが…)
4家の中でも、特に幕末まで活躍した木挽町狩野家です。
では、実際に、どんな当主がいて、どんな絵を描いていたのか。
今回出展されていた絵とともに、紹介していきましょう。
まずは、木挽町狩野家初代・狩野尚信。
《富士見西行・大原御幸図屏風》
右隻には、富士を観て、その大きさに驚く西行法師が描かれています。
・・・驚きすぎ (笑)
続いて、2代狩野常信、
《花鳥人物貼交屏風》
3代狩野周信 (ちかのぶ) ときて、、
《蛤観音図》
4代狩野古信 (ひさのぶ) 。
《林和靖鶴亀図》
ちなみに、この狩野古信が描いた林和靖なる人物。
大の鶴好きで、客人が遊びに来ると、
鶴を庭に放ち、客を楽しませていたのだとか。
そう言えば、同じ林和靖を、曾我蕭白が描いたものが、
千葉市美術館の “蕭白ショック!!” に展示されていましたっけ。
狩野古信の林和靖と比べると、曾我蕭白の林和靖は、だいぶイッちゃってますね (笑)
さてさて、木挽町狩野家の続き。
5代狩野玄信 (はるのぶ) は、早世のため作品がありません。
合掌。
6代は、 狩野典信 (みちのぶ) 。
《唐子遊図屏風》
7代狩野惟信 (これのぶ) 。
《四季花鳥図屏風》
8代が、狩野栄信 (ながのぶ) で、
《花鳥図》
9代が、狩野養信 (おさのぶ)
《鷹狩図屏風》
父が栄信で、子が養信。
親子の名前を合わせると、 「栄養」 になるのは、何か深い意味でもあるのでしょうか。 (←たぶん無い)
代々続いてきた木挽町狩野家。
その大トリを務めるのは、10代狩野雅信 (ただのぶ) 。
お疲れ様でした
《御殿山筑波山遠望図》
こうして、木挽町狩野家の250年の歴史を一挙に観られたのは、圧巻。
250年も歴史が進んでいるのに、画風がそんなに変化していないところに、
良くも悪くも、伝統を頑なに守り続けた狩野派のスタンスが現れていた気がします。
また、会場には、木挽町狩野家だけでなく、
木挽町狩野家のライバル (?) ・鍛冶橋狩野家の祖である狩野探幽や、
浜町狩野家の祖・狩野岑信をはじめ、
狩野家の他の皆様も、展示会場に大集合。
もはや狩野家の法事のようなありさまです (笑)
そんな狩野家大集合の中で、一人異彩を放っていたのが、清原雪信。
『信』 は付いていますが、実は、女性。
本名は、雪とのこと。
《花鳥図屏風》
女性の手による絵と言われてみますと、
確かに、女性画家の絵に見えてくるものです。
鳥がカワイイですし♪
しかも、ここなんかも、女子っぽい↓
よ~く観ると、マーク (笑)
最後に。
今回の美術展には、座布団に腰かけ、屏風を間近で観られるお座敷コーナーが設けられています。
すべて金屏風なのは、運気アップの意味を込めて、とのこと。
無料な上に、観客の運気のことも考えてくれる板橋区立美術館。
そのサービス精神に脱帽です。
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奥絵師・木挽町狩野家~お殿さまに仕えた絵師たちの250年~
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