新宿中村屋の人気商品の月餅と純印度式カリーが誕生して、今年でちょうど90年。
それを記念して、現在、新宿中村屋サロン美術館にて、
“新宿中村屋 月餅・インドカリー90周年 食とデザイン展” が開催されています。
(注:この記事に使用している展示室内の画像は、特別に美術館より提供頂いたものです)
さて、中村屋といえば、もちろん純印度式カリー。
その誕生には、こんなエピソードがありました。
インド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボース。
そんなインドのYOUは、亡命しに日本へ。
創業者夫妻により、中村屋のアトリエで匿まわれることになりました。
そういった出会いもあり、のちにボースは、創業者夫妻の娘で、
中村彝の 《小女》 のモデルにもなっている俊子と結婚します。
中村彝 《小女》 1914年 株式会社中村屋蔵
残念ながら、俊子は26歳という若さでこの世を去りますが、
創業者夫妻に深い恩義を感じていたボースは、本場インドのカリーを中村屋に伝授。
骨付きの大きな鶏肉入りのスパイシーなカリーは次第に評判を呼び、たちまち看板メニューに。
当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度だったのに対し、中村屋のカリーは80銭。
それでも飛ぶように売れたのだとか。
そんなに純印度式カリーにちなんで、当時レストランの店員の制服だったルパシカや、
創業者の妻・黒光と俊子が着用していたインドの民族衣装サリーが展示されていました。
また、同じ年に発売されたもう一つの中村屋の人気商品・月餅。
(注:この後、僕がおいしく頂きました)
こちらは、創業者夫妻が中国での視察旅行中に、
日本人のラマ僧から、とある話を聞いたことがきっかけで生まれたお菓子です。
なんでも、中国では8月15日の夜に、“月餅” と称する菓子を月前に供えるとのこと。
何となく、日本のお月見の風習に似ているなと、
ピンと閃いた創業者は、月餅を日本でも発売しようと考えました。
しかし、本場の月餅は、油っこさもあり、日本人の口には、なかなか合いません。
そこで、改良に改良を重ね、昭和9年についに、
中村屋オリジナルの 「和菓子としての月餅」 が誕生したのです。
味も和菓子スタイルなら、作り方も和菓子スタイル。
和菓子と同じく木型を使って、中村屋の月餅は作られていたようです。
(現在でも、一部の月餅は、木型を使って作られています)
会場には、そんな月餅の木型 (実際に使っていたもの!) が大集合。
お馴染みの定番の月餅の木型もあれば、
ビッグサイズや地域限定ものなどレアな月餅の木型もありました。
さてさて、ここに紹介された木型の多くは、
この道60年の木型職人・大河原仁さんによって作られています。
たかが木型ではなく、されど木型。
職人技の限りが尽くされた木型は、もはや芸術品の域に達していました。
個人的に心を奪われたのは、十二支がモチーフになった月餅の木型です。
思わず、「カワイイ~♪」 という言葉が飛び出しました。(←女子か!)
こんなにもカワイイ月餅は見たことがありません。
限定商品とのことですが、これをもっとプッシュしたなら、月餅ブームが起きるのでは?
そうそう、こんな月餅の木型もありました。
「あれっ?中村屋サロン美術館オリジナルの月餅も売ってるんですか??」
と尋ねてみたところ、非売品とのこと。
ただし、毎年、美術館の開館記念日の10月29日に、
来場者の皆様に、このオリジナル月餅をプレゼントしているのだそうです。
今年もあるかも?!
皆様、要チェックですよ。
ちなみに、もう一つの展示室では、通常展示として、
中村屋にまつわる美術作品の数々が紹介されています。
その中に、最近、中村屋コレクションに仲間入りしたばかりの作品が。
荻原守衛の親友であった彫刻家・戸張孤雁 (とはり こがん) による女性像です。
タイトルは、《をなご》。
《おんな》 でも、《おなご》 でもなく、《をなご》。
思わず声に出して読みたくなる題名です。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在8位です)
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それを記念して、現在、新宿中村屋サロン美術館にて、
“新宿中村屋 月餅・インドカリー90周年 食とデザイン展” が開催されています。
(注:この記事に使用している展示室内の画像は、特別に美術館より提供頂いたものです)
さて、中村屋といえば、もちろん純印度式カリー。
その誕生には、こんなエピソードがありました。
インド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボース。
そんなインドのYOUは、亡命しに日本へ。
創業者夫妻により、中村屋のアトリエで匿まわれることになりました。
そういった出会いもあり、のちにボースは、創業者夫妻の娘で、
中村彝の 《小女》 のモデルにもなっている俊子と結婚します。
中村彝 《小女》 1914年 株式会社中村屋蔵
残念ながら、俊子は26歳という若さでこの世を去りますが、
創業者夫妻に深い恩義を感じていたボースは、本場インドのカリーを中村屋に伝授。
骨付きの大きな鶏肉入りのスパイシーなカリーは次第に評判を呼び、たちまち看板メニューに。
当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度だったのに対し、中村屋のカリーは80銭。
それでも飛ぶように売れたのだとか。
そんなに純印度式カリーにちなんで、当時レストランの店員の制服だったルパシカや、
創業者の妻・黒光と俊子が着用していたインドの民族衣装サリーが展示されていました。
また、同じ年に発売されたもう一つの中村屋の人気商品・月餅。
(注:この後、僕がおいしく頂きました)
こちらは、創業者夫妻が中国での視察旅行中に、
日本人のラマ僧から、とある話を聞いたことがきっかけで生まれたお菓子です。
なんでも、中国では8月15日の夜に、“月餅” と称する菓子を月前に供えるとのこと。
何となく、日本のお月見の風習に似ているなと、
ピンと閃いた創業者は、月餅を日本でも発売しようと考えました。
しかし、本場の月餅は、油っこさもあり、日本人の口には、なかなか合いません。
そこで、改良に改良を重ね、昭和9年についに、
中村屋オリジナルの 「和菓子としての月餅」 が誕生したのです。
味も和菓子スタイルなら、作り方も和菓子スタイル。
和菓子と同じく木型を使って、中村屋の月餅は作られていたようです。
(現在でも、一部の月餅は、木型を使って作られています)
会場には、そんな月餅の木型 (実際に使っていたもの!) が大集合。
お馴染みの定番の月餅の木型もあれば、
ビッグサイズや地域限定ものなどレアな月餅の木型もありました。
さてさて、ここに紹介された木型の多くは、
この道60年の木型職人・大河原仁さんによって作られています。
たかが木型ではなく、されど木型。
職人技の限りが尽くされた木型は、もはや芸術品の域に達していました。
個人的に心を奪われたのは、十二支がモチーフになった月餅の木型です。
思わず、「カワイイ~♪」 という言葉が飛び出しました。(←女子か!)
こんなにもカワイイ月餅は見たことがありません。
限定商品とのことですが、これをもっとプッシュしたなら、月餅ブームが起きるのでは?
そうそう、こんな月餅の木型もありました。
「あれっ?中村屋サロン美術館オリジナルの月餅も売ってるんですか??」
と尋ねてみたところ、非売品とのこと。
ただし、毎年、美術館の開館記念日の10月29日に、
来場者の皆様に、このオリジナル月餅をプレゼントしているのだそうです。
今年もあるかも?!
皆様、要チェックですよ。
ちなみに、もう一つの展示室では、通常展示として、
中村屋にまつわる美術作品の数々が紹介されています。
その中に、最近、中村屋コレクションに仲間入りしたばかりの作品が。
荻原守衛の親友であった彫刻家・戸張孤雁 (とはり こがん) による女性像です。
タイトルは、《をなご》。
《おんな》 でも、《おなご》 でもなく、《をなご》。
思わず声に出して読みたくなる題名です。
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