東京ステーションギャラリーで開催中の “没後40年 幻の画家 不染鉄展” に行ってきました。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
こちらは、今年没後40年を迎える日本画家・不染鉄の大々的な回顧展です。
「不染鉄」 と書いて、「ふせんてつ」 と読みます。
もちろんペンネームです。
本名は、不染哲治 (のち哲爾。鐵二とも号する) 。
あ、意外と、本名のまんまなのですね。
と、本名もなかなか変わっていますが、経歴もなかなか変わっています。
日本画を学ぶものの、写生旅行先の伊豆大島・式根島で、なぜか漁師暮らしを始める不染鉄。
それも、3年間。
その後、やはり美術の世界に戻り、京都市立絵画専門学校 (現・京都市立芸術大学) に入学。
なんと主席で卒業します。
それだけの才能の持ち主ながらも、戦後は画壇を離れ、晩年まで飄々と絵を描き続けたのだそうです。
ちなみに、これまでに美術館で開催された不染鉄展は、たった1回。
21年前に奈良県立美術館で開催されただけです。
それゆえの “幻の画家”。
“幻の画家” と呼ばれる画家は少なくないですが。
不染鉄は、その辺の “幻の画家” とは格が違います。
IKKOくらいにテンションMAXで “「まぼろし~!」の画家” と呼びたいくらいです (←?)。
さて、そういうわけで、不染鉄の絵を観るのは、今回が初めてだったのですが。
その作品世界は、まぁ、独特でした。
《廃船》 昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵
《薬師寺東塔の図》 昭和45(1970)年頃 個人蔵
どこか怖くて、どこか優しくて、どこか幻想的で、
どこか切なくて、どこか異国情緒があって、でも、どこかノスタルジックで。
いろんな感情や要素が入り混じったような、実に掴みどころのない不思議な作品世界。
渡部篤郎くらい掴みどころがないです。
無理やり一言で言い表すならば、“不染鉄っぽい” と表現するしかありません。
それほどまでにオリジナリティが確立していました。
そんな唯一無二の不染鉄作品が、
これまた唯一無二の東京ステーションギャラリーの展示室と絶妙にマッチ。
東京駅創建当時の赤レンガ剥き出しの壁が、
不染鉄作品の一部、表装や額縁のように感じられました。
一度目にしただけなのに、すっかり心と脳の中に刻み込まれている。
そんな印象深い不染鉄作品は、多々ありますが。
やはり一番印象深かったのは、《山海図絵(伊豆の追憶)》 です。
《山海図絵(伊豆の追憶)》 大正14(1925)年 木下美術館蔵
画面の中央に高くそびえるのは、シンメトリーな富士山。
画面の下3分の1には、太平洋が描かれ、
上から3分の1には、日本海側の景色が描かれています。
一見すると、ものすごく俯瞰して描かれたダイナミックな絵に思えますが。
近づいて、よく観てみると、魚や波、家や木々が、
まるで細密画のようにビッシリと描きこまれているのがわかります。
先日、ブログで紹介したばかりの川端龍子の絵のようなダイナミックさと、
ブリューゲルの 《バベルの塔》 のような細密さも併せ持つ、実に不思議な味わいの絵。
いつまでも観ていられる絵でした。
ちなみに、今回の展覧会には、不染鉄の絵画作品だけでなく、
不染鉄が制作に関わった木彫作品や陶芸作品、刺繍作品なども展示されています。
その中には、妻を亡くした後に、
身の回りを世話してくれた女性たちに感謝を込めて贈ったとされる着物作品も。
絵付けはもちろん、染め上げもしたのだそうです。
不染なのに。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
こちらは、今年没後40年を迎える日本画家・不染鉄の大々的な回顧展です。
「不染鉄」 と書いて、「ふせんてつ」 と読みます。
もちろんペンネームです。
本名は、不染哲治 (のち哲爾。鐵二とも号する) 。
あ、意外と、本名のまんまなのですね。
と、本名もなかなか変わっていますが、経歴もなかなか変わっています。
日本画を学ぶものの、写生旅行先の伊豆大島・式根島で、なぜか漁師暮らしを始める不染鉄。
それも、3年間。
その後、やはり美術の世界に戻り、京都市立絵画専門学校 (現・京都市立芸術大学) に入学。
なんと主席で卒業します。
それだけの才能の持ち主ながらも、戦後は画壇を離れ、晩年まで飄々と絵を描き続けたのだそうです。
ちなみに、これまでに美術館で開催された不染鉄展は、たった1回。
21年前に奈良県立美術館で開催されただけです。
それゆえの “幻の画家”。
“幻の画家” と呼ばれる画家は少なくないですが。
不染鉄は、その辺の “幻の画家” とは格が違います。
IKKOくらいにテンションMAXで “「まぼろし~!」の画家” と呼びたいくらいです (←?)。
さて、そういうわけで、不染鉄の絵を観るのは、今回が初めてだったのですが。
その作品世界は、まぁ、独特でした。
《廃船》 昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵
《薬師寺東塔の図》 昭和45(1970)年頃 個人蔵
どこか怖くて、どこか優しくて、どこか幻想的で、
どこか切なくて、どこか異国情緒があって、でも、どこかノスタルジックで。
いろんな感情や要素が入り混じったような、実に掴みどころのない不思議な作品世界。
渡部篤郎くらい掴みどころがないです。
無理やり一言で言い表すならば、“不染鉄っぽい” と表現するしかありません。
それほどまでにオリジナリティが確立していました。
そんな唯一無二の不染鉄作品が、
これまた唯一無二の東京ステーションギャラリーの展示室と絶妙にマッチ。
東京駅創建当時の赤レンガ剥き出しの壁が、
不染鉄作品の一部、表装や額縁のように感じられました。
一度目にしただけなのに、すっかり心と脳の中に刻み込まれている。
そんな印象深い不染鉄作品は、多々ありますが。
やはり一番印象深かったのは、《山海図絵(伊豆の追憶)》 です。
《山海図絵(伊豆の追憶)》 大正14(1925)年 木下美術館蔵
画面の中央に高くそびえるのは、シンメトリーな富士山。
画面の下3分の1には、太平洋が描かれ、
上から3分の1には、日本海側の景色が描かれています。
一見すると、ものすごく俯瞰して描かれたダイナミックな絵に思えますが。
近づいて、よく観てみると、魚や波、家や木々が、
まるで細密画のようにビッシリと描きこまれているのがわかります。
先日、ブログで紹介したばかりの川端龍子の絵のようなダイナミックさと、
ブリューゲルの 《バベルの塔》 のような細密さも併せ持つ、実に不思議な味わいの絵。
いつまでも観ていられる絵でした。
ちなみに、今回の展覧会には、不染鉄の絵画作品だけでなく、
不染鉄が制作に関わった木彫作品や陶芸作品、刺繍作品なども展示されています。
その中には、妻を亡くした後に、
身の回りを世話してくれた女性たちに感謝を込めて贈ったとされる着物作品も。
絵付けはもちろん、染め上げもしたのだそうです。
不染なのに。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!