~前回までのあらすじ~
国宝をすべて観るため、日本全国を駆け巡る国宝ハンター。
開始6年目にして、ついに900件目の国宝を目にすることが出来ました。
それでも、ゴールまであと206件。
月1ペースで国宝の旅に出かけていますが、それでも道のりはまだ遠いです。
・・・・・そう言えば、オメェ先月、国宝ハンティングやってねぇな!
何しれっとあらすじを話してんだ。
と、ツッコミを入れたくなった方もいらっしゃることでしょう。
申し訳ありません。
その分、今月8月は前月分の繰り越し (?) で、国宝の旅に2回行きます!
というわけで、今回は国宝ハンター史上もっとも遠い地へとやってきました。
桜島でおなじみの鹿児島です。
まずは、島津家の居住であった鶴丸城、
その跡地に建っている鹿児島県歴史資料センター黎明館へ向かいました。
こちらで期間限定で展示されていたのは、《太刀〈銘国宗/〉》 (ジャンル:工芸品) です。
《太刀〈銘国宗/〉》 の人生 (刀生?) は、なかなかに波乱万丈。
長い間、島津家に伝来していたそうですが、昭和2年に島津家から照国神社へと寄進されます。
そして、この年に、当時の法律で国宝に指定されました。
順風満帆の国宝人生を歩むかと思えば、第二次世界大戦終戦後にGHQに没シュート。
その後、しばらく所在不明に。。。
その間になんやかんやあって、アメリカでオークションにかけられ、転売され、
最終的には、愛刀家として知られるウォルター・コンプトン博士の所蔵となりました。
昭和38年、コンプトン博士の神対応により、《太刀〈銘国宗/〉》 は無償で神社に返還されます。
翌年、《太刀〈銘国宗/〉》 は、改めて国宝に指定されますが、
寄託先は、鹿児島県内ではなく、遠く離れた東京国立博物館でした。
寄託先が、現在の鹿児島県歴史資料センター黎明館になったのは、平成5年のこと。
実に50年以上も鹿児島の地を離れていたのです。。。
そんな鹿児島県民にとっては、涙無しには語れぬ国宝。
僕が訪れたのは、公開最終日ということもあって、
さぞかし混雑しているのだろうと覚悟していたのですが・・・・・
僕以外誰一人いませんでした。
鹿児島県民のみなさまは、鹿児島県歴史資料センター黎明館で、
同時開催中の “大ゴジラ特撮王国KAGOSHIMA” に夢中なようでした。
国宝よりゴジラ。
さて、そんな国宝に関心の薄い鹿児島県が所蔵する国宝は、《太刀〈銘国宗/〉》 の1件だけ。
せっかく九州最南端までやってきたのですから、なんとかもう1件ハンティングしたいところです。
そこでレンタカーを借りて、熊本県を目指すことにしました。
(↑さすがにレンタサイクルでは無理!)
鹿児島から一度宮崎を経由して、熊本へ。
やってきたのは、青井阿蘇神社。
ウッチャンの出身地としても知られる人吉市にある神社です。
《青井阿蘇神社 (本殿/拝殿/幣殿/廊/楼門)》 (ジャンル:建造物) が、
熊本県初となる国宝に指定されたのは、今から遡ること9年前の2008年のこと。
よっぽど国宝に指定されたことが、嬉しかったのでしょう。
看板から、その喜びが溢れるほどに伝わってきました。
・熊本県初
・茅葺社寺建造物初
・神社の指定47年ぶり
・九州内建造物55年ぶり
・日本最南端国宝建造物
さらに、境内にいたるところで見かける国宝の2文字。
いくらなんでも、ちょっとはしゃぎすぎですよ (苦笑)
国宝国宝と言われすぎて、若干胸やけ気味。
すっかり国宝そのものを観た気になっていましたが、よく考えたらまだ観ていませんでした。
こちらが肝心の国宝の本殿です。
全体的に見たことない装飾でデコデコされた珍しい建造物でした。
この独特な様式は、地名を取って、「人吉様式」 と呼ばれているようです。
ちなみに。
お祭りでも何でもないのに、境内では、唐揚げが売られていました。
なんか珍しい気がするので、旅の記念に1つ買ってみることに。
すると、手渡されたのは・・・
パックからはみ出るほどの唐揚げ。
業務用??
もったいないので、頑張って全部食べました。
・・・完全に胃もたれ。
こいつのせいで、他の熊本名物も鹿児島名物もお腹に入れることが出来ず。
唐揚げいっぱいのお腹のまま、帰路に着くこととなりました。
本場のさつま揚げを食べられなかったことが今でも悔やまれます。
今現在の国宝ハンティング数 904/1108
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第百四十四話 国宝ハンター、もたれる!
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