八王子市夢美術館で開催中の “昭和の洋画を切り拓いた若き情熱” に行ってきました。
こちらは、昭和の洋画壇に名を残す2つの美術団体、
「1930年協会」 と 「独立美術協会」 に焦点を当てた展覧会です。
まずは、それぞれの美術団体を簡単にご紹介いたしましょう。
1920年代前半をパリで過ごした木下孝則、小島善太郎、里見勝蔵、
佐伯祐三、前田寛治の5人の画家が新しい作品発表する場として、帰国後に結成したグループ。
それが、「1930年協会」 です。
その名称は、ミレーやコローが属したバルビゾン派の旧称である 「1830年派」 に由来するのだとか。
スタート時はたった5人でしたが、回を重ねるごとに、勢力が拡大。
4年後には、400名が集う一大勢力へと成長しました。
・・・・・しかし。
創立メンバーの一人、木下は再びフランスへ。
佐伯も渡仏し、30歳の若さで客死。
前田も33歳という若さで病死。
さらに、里見と小島が離脱したことで、ちょうど1930年に自然消滅してしまいます。
さて、その里美と小島のもとに、
三岸好太郎や福沢一郎といった気鋭の洋画家14名が合流し、新たな美術団体が誕生します。
それが、「独立美術協会」。
既存の美術団体との絶縁、新時代の美術の確立を宣言し、昭和の洋画壇に新風を巻き起こしました。
と、一応、大雑把にまとめてみましたが。
政治家の新党の立ち上げみたいで、
美術団体の活動どうこうは、個人的には全く興味がなし (笑)
なので、会場では、それぞれのメンバーの作品を、活動とは切り離して普通に楽しんでました。
全体的には、佐伯祐三の 《扉》 や、
児島善三郎の 《ソテツのある公園》 をはじめ、
マティスを彷彿とさせるフォービスム (野獣派) 風の作品が多いのが特徴です。
特に野獣感たっぷり (?) だったのは、里見勝蔵の 《少女》 という一枚。
顔も体も胸も、何がどうなってるのか。
完全に異形です。
野性味ある少女というよりも、もはや野獣に育てられた少女といった印象。
こんな風に描かれてしまったモデルの少女が、可哀相でなりません。
また、もう1つ印象的だった里見勝蔵作品が、こちらの 《メーデー》。
迫り来る感がハンパではありません。
3D映画を見ているかのようなド迫力でした。
もし、彼らが道の向こうからやってきたら、思わず避けてしまいそうです。
・・・・・避けるとこ、ないけど。
印象的だったと言えば、清水登之の 《山麓の家族》 という作品も。
なんか、もろもろ変な絵です。
オトンのランニングのピチピチ具合とか。
オカンのポージングとか。
息子の発育具合とか。
影の付き方とか。
謎の根っことか。
あと、なんでまた薪の束を、あんなところに置くのか?
建物の入り口を塞いでどうする。
ちなみに、独立美術協会の初期メンバーには、
小島善太郎と児島善三郎という、よく似た名前の2人の画家がいて、ややこしいのですが。
どうやら、当時から2人はよく間違えられていたそうです。
なので、小島善太郎のほうは、
サインを、「Z.Kojima」 に。
対して、児島善三郎のほうは、
サインを 「Z.Z.Kojima」 にしていたとのこと。
昔から、児島は名前を間違えられやすかったのですね。
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