今年2018年は、密かに 『民藝』 が熱い!
この夏は、パナソニック 汐留ミュージアムで、“没後50年 河井寬次郎展” が開催されますし、
秋には、六本木の21_21 DESIGN SIGHTにて、
日本民藝館の館長を務める深澤直人さんがディレクションを務める “民藝展” が控えています。
そして、現在、世田谷美術館でも、『民藝』 をテーマにした展覧会が開催中。
それが、“没後40年 濱田庄司展 ―大阪市東洋陶磁美術館 堀尾幹雄コレクションを中心に” です。
こちらは、民藝界の 「ハマショー」 こと (?)、
濱田庄司 (1894-1978) の没後40年を記念して開催される展覧会で、
堀尾幹雄氏が大阪市立東洋陶磁美術館に寄贈した濱田庄司コレクションを中心に紹介されています。
展覧会は、3章仕立て。
まずは、濱田庄司の 『創作の源泉』 を紹介する章から始まります。
民藝というと、なんとなく土臭い、日本の片田舎のイメージがありますが。
実は、濱田庄司は、若き日に3年間イギリスに滞在しています。
そこで、陶芸家のバーナード・リーチとともに、作陶していたのだそう。
会場では、そんなイギリス生活に関する資料や、
帰国後に、濱田庄司が蒐集した世界各地の民藝品が展示されていました。
その中には、イギリスで見つけたというスリップウェアのお皿も。
《スリップウェア 皿》(イギリス) 17世紀 (公財)濱田庄司記念益子参考館蔵 撮影:秋山晋一
ちなみに、スリップウェアに関しては、こんなエピソードが紹介されていました。
スリップウェアの紋様は、どのように作られているのか?
常日頃、疑問に思っていたという濱田庄司とバーナード・リーチ。
ある日、パンを食べていた時に、その答えが判明します。
パンの上にブラックベリージャムを厚く塗り、
その上から横縞に濃厚なクリームを流し、ナイフを入れました。
すると、スリップウェアのような紋様が現れたのだとか!
こうして、彼らは、スリップウェアの技法を習得したのだそうです。
エピソードが、欧米かっ!
おそらく、お好み焼きの上にソースを厚く塗り、
その上から横縞にマヨネーズを塗って、ヘラを入れても、同じ結論が出たはず。
続く第2章は、濱田庄司が帰国後から晩年まで、
創作活動の場として選び、生活を続けた 『益子での創作の日々』 がテーマ。
濱田がイギリスから運んできたウィンザーチェアや、
濱田が自分でデザインしたダイニングテーブルなどが展示されていました。
《ダイニングテーブル、イス(デザイン:濱田庄司)》 1940年頃 (公財)濱田庄司記念益子参考館蔵 撮影:秋山晋一
ライフスタイルも、欧米かっ!
また、そんな益子で作った陶芸作品の数々が紹介されています。
濱田庄司 《絵替 各皿》(5枚) 制作年不詳 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
濱田庄司 《青釉白黒流描 大鉢》 1951年頃 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
ちなみに、こちらの章で紹介されているのは、すべて堀尾幹雄コレクション。
そのほとんどが、濱田庄司本人から直接購入したものだそう。
そして、そのほとんどが、実際に日常で使用していたものだそうです。
陶芸の展覧会で、“もし、このお皿に料理を盛り付けるとしたら・・?” と、よく妄想してみますが。
今回の展覧会に展示されているお皿には、
「もし」 ではなく、実際に料理が盛り付けられていたわけです。
濱田庄司の陶芸作品を普段使いするなんて、贅沢な!
と、一瞬思いましたが、濱田庄司の陶芸作品に、
毎日、料理を盛り付けなくてはならない堀尾幹雄氏の妻はプレッシャーだったのではなかろうか。
さてさて、第3章で紹介されていたのは、『濱田庄司の茶碗』。
堀尾幹雄コレクションから、41点の茶碗がまとめて紹介されています。
全体的には茶色やベージュといったアースカラーな茶碗が多かったですが。
中にはこんなモダンな茶碗も。
濱田庄司 《塩釉櫛目色差 茶碗》 1961年頃 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
どこが具体的にどうという感じではないのですが。
なんとなく、コム・デ・ギャルソンっぽい印象を受けました。
お茶だけでなく、コーヒーを注いでも良さそう。
ちなみに。
今回の展覧会で一番印象に残ったのは、《白釉黒流描 大鉢》 です。
濱田庄司 《白釉黒流描 大鉢》 制作年不詳 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
どこかジャクソン・ポロックの作品を彷彿とさせる激しさ、荒々しさ、リズム感がありました。
音楽で言えば、間違いなくジャズ。
ドラムの音が聞こえてくるかのようです。
箸があったら、ペチペチ叩いてみたい (←コラコラ!)。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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この夏は、パナソニック 汐留ミュージアムで、“没後50年 河井寬次郎展” が開催されますし、
秋には、六本木の21_21 DESIGN SIGHTにて、
日本民藝館の館長を務める深澤直人さんがディレクションを務める “民藝展” が控えています。
そして、現在、世田谷美術館でも、『民藝』 をテーマにした展覧会が開催中。
それが、“没後40年 濱田庄司展 ―大阪市東洋陶磁美術館 堀尾幹雄コレクションを中心に” です。
こちらは、民藝界の 「ハマショー」 こと (?)、
濱田庄司 (1894-1978) の没後40年を記念して開催される展覧会で、
堀尾幹雄氏が大阪市立東洋陶磁美術館に寄贈した濱田庄司コレクションを中心に紹介されています。
展覧会は、3章仕立て。
まずは、濱田庄司の 『創作の源泉』 を紹介する章から始まります。
民藝というと、なんとなく土臭い、日本の片田舎のイメージがありますが。
実は、濱田庄司は、若き日に3年間イギリスに滞在しています。
そこで、陶芸家のバーナード・リーチとともに、作陶していたのだそう。
会場では、そんなイギリス生活に関する資料や、
帰国後に、濱田庄司が蒐集した世界各地の民藝品が展示されていました。
その中には、イギリスで見つけたというスリップウェアのお皿も。
《スリップウェア 皿》(イギリス) 17世紀 (公財)濱田庄司記念益子参考館蔵 撮影:秋山晋一
ちなみに、スリップウェアに関しては、こんなエピソードが紹介されていました。
スリップウェアの紋様は、どのように作られているのか?
常日頃、疑問に思っていたという濱田庄司とバーナード・リーチ。
ある日、パンを食べていた時に、その答えが判明します。
パンの上にブラックベリージャムを厚く塗り、
その上から横縞に濃厚なクリームを流し、ナイフを入れました。
すると、スリップウェアのような紋様が現れたのだとか!
こうして、彼らは、スリップウェアの技法を習得したのだそうです。
エピソードが、欧米かっ!
おそらく、お好み焼きの上にソースを厚く塗り、
その上から横縞にマヨネーズを塗って、ヘラを入れても、同じ結論が出たはず。
続く第2章は、濱田庄司が帰国後から晩年まで、
創作活動の場として選び、生活を続けた 『益子での創作の日々』 がテーマ。
濱田がイギリスから運んできたウィンザーチェアや、
濱田が自分でデザインしたダイニングテーブルなどが展示されていました。
《ダイニングテーブル、イス(デザイン:濱田庄司)》 1940年頃 (公財)濱田庄司記念益子参考館蔵 撮影:秋山晋一
ライフスタイルも、欧米かっ!
また、そんな益子で作った陶芸作品の数々が紹介されています。
濱田庄司 《絵替 各皿》(5枚) 制作年不詳 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
濱田庄司 《青釉白黒流描 大鉢》 1951年頃 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
ちなみに、こちらの章で紹介されているのは、すべて堀尾幹雄コレクション。
そのほとんどが、濱田庄司本人から直接購入したものだそう。
そして、そのほとんどが、実際に日常で使用していたものだそうです。
陶芸の展覧会で、“もし、このお皿に料理を盛り付けるとしたら・・?” と、よく妄想してみますが。
今回の展覧会に展示されているお皿には、
「もし」 ではなく、実際に料理が盛り付けられていたわけです。
濱田庄司の陶芸作品を普段使いするなんて、贅沢な!
と、一瞬思いましたが、濱田庄司の陶芸作品に、
毎日、料理を盛り付けなくてはならない堀尾幹雄氏の妻はプレッシャーだったのではなかろうか。
さてさて、第3章で紹介されていたのは、『濱田庄司の茶碗』。
堀尾幹雄コレクションから、41点の茶碗がまとめて紹介されています。
全体的には茶色やベージュといったアースカラーな茶碗が多かったですが。
中にはこんなモダンな茶碗も。
濱田庄司 《塩釉櫛目色差 茶碗》 1961年頃 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
どこが具体的にどうという感じではないのですが。
なんとなく、コム・デ・ギャルソンっぽい印象を受けました。
お茶だけでなく、コーヒーを注いでも良さそう。
ちなみに。
今回の展覧会で一番印象に残ったのは、《白釉黒流描 大鉢》 です。
濱田庄司 《白釉黒流描 大鉢》 制作年不詳 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 堀尾幹雄コレクション
どこかジャクソン・ポロックの作品を彷彿とさせる激しさ、荒々しさ、リズム感がありました。
音楽で言えば、間違いなくジャズ。
ドラムの音が聞こえてくるかのようです。
箸があったら、ペチペチ叩いてみたい (←コラコラ!)。
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