現在、世田谷美術館で開催されているのは、
“ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校” という展覧会。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
小野二郎と聞いて、オバマ大統領に寿司を握ったあの職人さんが、頭に浮かびましたが。
どうやら今回の展覧会でフィーチャーされているのは、同姓同名の別の人物。
編集者にして、研究者、教育者、
さらには、思想家でもあったという小野二郎 (1929~1982) が今展の主役です。
展覧会は、全3部で構成されています。
まずは、小野二郎の活動に大きな影響を与えた人物、
19世紀イギリスを代表するデザイナー、ウィリアム・モリスにまつわるコーナーから。
デザイナーとしてのモリスだけでなく、
社会主義者としてのモリスの姿勢に強く感銘を受けた小野二郎。
モリスの構想したユートピア思想を、彼はその生涯をかけて追い求めたのだそうです。
その活動の一環として、小野はモリスに関する書籍を多く出版しています。
モリス研究家ではなく、モリス主義者。
そう自称する彼がいなかったら、日本でのモリスの知名度はもっと低かったかもしれません。
第2部で紹介されているのは、サイのマークでお馴染みのあの出版社。
東大駒場の同期であった中村勝哉氏とともに、
1960年に小野二郎が創業したのが、今なお続く晶文社です。
ベンヤミンやニザンといった哲学者によるお堅い本から、
ジャズやロック、映画といったサブカルチャーを取り上げた本まで。
幅広いジャンルの書籍を出版し、出版界に少なくない影響を与えたという晶文社。
そんな晶文社の書籍を中心に、
会場には、小野二郎に関係する書籍が、ズラリと一堂に会しています。
残念ながら、手に取って読むことは出来ませんでしたが、
思わず読んでみたくなる目を惹く書籍がいくつもありました。
個人的に一番気になったのは、1981年に発行された 『就職しないで生きるには』。
それは、確かにある意味で、ユートピア!
ニートという言葉がまだない時代に、
そんな本が出版されていたとは、驚かされました。
さてさて、第3部で紹介されていたのは、
飛騨高山にあるセルフビルドを学ぶ私塾、高山建築学校です。
毎年、夏に約1か月ほど開校する完全合宿制のセミナーで、
建築学生だけでなく、普通の会社員が参加することもあるかなり自由な校風とのこと。
その授業もかなり自由なもので、建築に限らず思想や哲学の講義もあったのだそう。
小野二郎も、高山建築学校に講師として招かれた人物の一人。
彼が髙山の地で語ったユートピアの思想は、
生徒はもちろん、講師陣にも大きな影響を与えたのだとか。
そのため、52歳という若さで小野が急逝すると、初代校主の倉田康男が、
彼を偲んで、《モリス・テーブル》 なるものを制作したとのこと。
小野二郎を記念した 《モリス・テーブル》 を囲み談笑する高山建築学校の講師たち左から倉田、丸山、大江、木田の各氏【杉全泰氏提供】
展覧会場のラストには、その実際の 《モリス・テーブル》 が展示されていました。
素材といい、色合いといい、フォルムといい。
テーブルというよりは、まるでお墓のよう。
なんだか妙にしんみりしてしまいました。
もし小野二郎が、あと20年、いや10年でも長生きしていたら、
出版や建築の分野を通じて、ユートピアの思想がもっと根付いていたのではないでしょうか。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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“ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校” という展覧会。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
小野二郎と聞いて、オバマ大統領に寿司を握ったあの職人さんが、頭に浮かびましたが。
どうやら今回の展覧会でフィーチャーされているのは、同姓同名の別の人物。
編集者にして、研究者、教育者、
さらには、思想家でもあったという小野二郎 (1929~1982) が今展の主役です。
展覧会は、全3部で構成されています。
まずは、小野二郎の活動に大きな影響を与えた人物、
19世紀イギリスを代表するデザイナー、ウィリアム・モリスにまつわるコーナーから。
デザイナーとしてのモリスだけでなく、
社会主義者としてのモリスの姿勢に強く感銘を受けた小野二郎。
モリスの構想したユートピア思想を、彼はその生涯をかけて追い求めたのだそうです。
その活動の一環として、小野はモリスに関する書籍を多く出版しています。
モリス研究家ではなく、モリス主義者。
そう自称する彼がいなかったら、日本でのモリスの知名度はもっと低かったかもしれません。
第2部で紹介されているのは、サイのマークでお馴染みのあの出版社。
東大駒場の同期であった中村勝哉氏とともに、
1960年に小野二郎が創業したのが、今なお続く晶文社です。
ベンヤミンやニザンといった哲学者によるお堅い本から、
ジャズやロック、映画といったサブカルチャーを取り上げた本まで。
幅広いジャンルの書籍を出版し、出版界に少なくない影響を与えたという晶文社。
そんな晶文社の書籍を中心に、
会場には、小野二郎に関係する書籍が、ズラリと一堂に会しています。
残念ながら、手に取って読むことは出来ませんでしたが、
思わず読んでみたくなる目を惹く書籍がいくつもありました。
個人的に一番気になったのは、1981年に発行された 『就職しないで生きるには』。
それは、確かにある意味で、ユートピア!
ニートという言葉がまだない時代に、
そんな本が出版されていたとは、驚かされました。
さてさて、第3部で紹介されていたのは、
飛騨高山にあるセルフビルドを学ぶ私塾、高山建築学校です。
毎年、夏に約1か月ほど開校する完全合宿制のセミナーで、
建築学生だけでなく、普通の会社員が参加することもあるかなり自由な校風とのこと。
その授業もかなり自由なもので、建築に限らず思想や哲学の講義もあったのだそう。
小野二郎も、高山建築学校に講師として招かれた人物の一人。
彼が髙山の地で語ったユートピアの思想は、
生徒はもちろん、講師陣にも大きな影響を与えたのだとか。
そのため、52歳という若さで小野が急逝すると、初代校主の倉田康男が、
彼を偲んで、《モリス・テーブル》 なるものを制作したとのこと。
小野二郎を記念した 《モリス・テーブル》 を囲み談笑する高山建築学校の講師たち左から倉田、丸山、大江、木田の各氏【杉全泰氏提供】
展覧会場のラストには、その実際の 《モリス・テーブル》 が展示されていました。
素材といい、色合いといい、フォルムといい。
テーブルというよりは、まるでお墓のよう。
なんだか妙にしんみりしてしまいました。
もし小野二郎が、あと20年、いや10年でも長生きしていたら、
出版や建築の分野を通じて、ユートピアの思想がもっと根付いていたのではないでしょうか。
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