今年めでたく開館30周年を迎えた横浜美術館。
それを記念し、満を持して開催されているのが、
“原三溪の美術 伝説の大コレクション” という展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
こちらは、横浜にゆかりの深い実業家にして、
横浜を代表する観光地の一つ三渓園にその名を残す原三溪が主役の展覧会です。
今展でスポットが当てられているのは、実業家としての原三溪以外の、彼の4つの側面。
まず1つ目は、「コレクター」 としての原三溪。
原三溪がその生涯で購入した美術品は、実に5000点を超えています。
(ただし、関東大震災後は、横浜の復興に全力を注いだため、美術品の蒐集からはすっぱりと手を引きました)
しかし、その没後に、コレクションは分散してしまいました。
さて、30周年を迎えた横浜美術館。
その総力を挙げて、日本全国に散らばる原三溪の旧蔵品を可能な限り集結させています。
国宝・重要文化財を多く含む原三溪の旧蔵品が、
これほどの規模で一堂に会するのは今回が初とのこと!
おそらく、原三溪自身もこの壮観な光景は目にしたことがないはずです。
ちなみに、そんなコレクター原三溪の旧蔵品の中でも、特に今回の目玉と言えるのが・・・
現在は東京国立博物館が所蔵する 《孔雀明王像》。
日本美術史上にとっても重要な逸品であり、
原三溪コレクションにとっても最も重要な作品です。
というのも、こちらの 《孔雀明王像》 には、こんなエピソードが。
「仏画は平安時代に限る!」 との持論を持っていたという若き日の原三溪。
そんなある日、政界の大物・井上馨の家で、《孔雀明王像》 を目にする機会をえました。
その時、井上馨はこう言ったのだそうです。
「1万円だったら、譲るよ」 と。
現在の価値にして、3000~5000万円。
今でこそ、美術品が〇億円で取引されることも珍しくないですが、
この当時、美術品を1万円で取引するなんて、ありえなかったそう。
つまり、井上馨は若い原三溪に無理難題をふっかけたというわけです。
しかし、昔話などでは、こういう意地悪じいさんは、たいていラストでやりこめられるもの。
井上馨も例外ではありません (←?)。
後日、マジで1万円を用意してきた原三溪に、《孔雀明王像》 を譲らざるをえなくなったのだそうです。
余計なことを言ってしまったばっかりに。
ともあれ、原三溪が 《孔雀明王像》 を1万円で購入した一件は、新聞の記事になったほど大きな話題に。
これ以来、美術コレクターとして一目を置かれるようになったのだそうです。
ちなみに、そんな 《孔雀明王像》 の右手 (・・・と言っても2本あるので、奥側ほう) にご注目。
国宝 《孔雀明王像》 平安時代後期(12世紀)、絹本着色・一幅、147.9×98.9cm 東京国立博物館蔵、Image:TNM Image Archives
(注:展示期間は7月13日~8月7日)
手にしているのは、倶縁果と呼ばれるインドの柑橘系の果物なのだそうです。
しかし、一説にはレモンという可能性もあるとのこと。
思わず 『ザテレビジョン』 の表紙を連想してしまいました。
ちなみに、類まれなる審美眼の持ち主だったという原三溪。
当時はまだ評価されていなかった琳派にも、
いち早く目を付け、コレクションに加えていたのだそうです。
値段から高いから購入する。
そんなどこぞゾの社長さんとは違って、真の美術コレクターだったようです。
さてさて、2つ目にスポットが当てられていたのは、「茶人」 としての原三溪。
実業家でもあり、茶人でもあった益田鈍翁や高橋箒庵と交流を深める中で、原三溪も茶の湯の道に。
熱心に茶道具を収集し、茶事も多く主催しています。
会場には、そんな原三溪が実際に茶事で用いた茶道具の数々が勢ぞろいしていました。
さて、それらの中には、なぜかイスラムの陶器も。
実は、茶人としてはアバンギャルドだったという原三溪。
伝統にとらわれず、斬新な感性で茶の湯を楽しんでいたようです。
続いて取り上げられていたのは、「アーティスト」 としての原三溪。
まずは、こちらをご覧くださいませ。
画面の左にあるのは、叔父に手ほどきを受け、原三溪が12歳の時に描いたとされる絵。
とても小学生が描いたとは思えない技量の一枚です。
このように元々素質があった彼がやがて、
一流の美術品を蒐集するようになり、日々それらの美術品に囲まれ、
さらには、一流の芸術家たちとも交流を深めていきます。
原三溪 《白蓮》 昭和6(1931)年、絹本淡彩・一幅、128.0×41.6cm
それゆえ、作品の出来は玄人レベル。
当然、『才能アリ』 です。
最後にスポットが当てられていたのは、「パトロン」 としての原三溪。
古美術や茶道具のコレクションだけでなく、
横山大観や今村紫紅といった当時の現代アーティストへの支援にも力を入れていたのだそう。
金銭面で援助するのはもちろんのこと、
自身のコレクションを惜しげもなく披露していたそうです。
原三溪が特に目をかけていたというのが、下村観山。
重要文化財 下村観山 《弱法師》(部分) 大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm 東京国立博物館蔵、Image:TNM Image Archives
(注:展示期間は8月9日~9月1日)
作品を購入するだけでなく、
本牧に土地をポーンと与え、邸宅を構えさせたそうです。
パトロンとしてのスケールが違いますね。
原三溪という名前は、かろうじて知っていましたが。
まさかこれほどまでに偉大で多彩で魅力的な人物だったとは。
横浜美術館の開館30周年に相応しい豪華な展覧会でした。
ちなみに、今回の出展作の中で個人的に印象に残っているのは、伝毛益の 《蜀葵遊猫図》。
重要文化財 伝毛益 《蜀葵遊猫図》 中国・南宋時代(12世紀)、絹本着色・一幅 25.3×25.8cm 大和文華館蔵
(注:展示期間は7月13日~8月7日)
小さな画面の中に、猫が5匹。
親子の猫がいたり、じゃれ合っている子猫がいたり、蝶を見上げる猫がいたり。
シチュエーションは絶対的にカワイイのですが、
なんだかどの猫も微妙に、いや、絶妙にかわいくないのです。
目が可愛くないのでしょうか。
猫の絵でこれほどまでに可愛くないのは、逆に奇跡。
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それを記念し、満を持して開催されているのが、
“原三溪の美術 伝説の大コレクション” という展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
こちらは、横浜にゆかりの深い実業家にして、
横浜を代表する観光地の一つ三渓園にその名を残す原三溪が主役の展覧会です。
今展でスポットが当てられているのは、実業家としての原三溪以外の、彼の4つの側面。
まず1つ目は、「コレクター」 としての原三溪。
原三溪がその生涯で購入した美術品は、実に5000点を超えています。
(ただし、関東大震災後は、横浜の復興に全力を注いだため、美術品の蒐集からはすっぱりと手を引きました)
しかし、その没後に、コレクションは分散してしまいました。
さて、30周年を迎えた横浜美術館。
その総力を挙げて、日本全国に散らばる原三溪の旧蔵品を可能な限り集結させています。
国宝・重要文化財を多く含む原三溪の旧蔵品が、
これほどの規模で一堂に会するのは今回が初とのこと!
おそらく、原三溪自身もこの壮観な光景は目にしたことがないはずです。
ちなみに、そんなコレクター原三溪の旧蔵品の中でも、特に今回の目玉と言えるのが・・・
現在は東京国立博物館が所蔵する 《孔雀明王像》。
日本美術史上にとっても重要な逸品であり、
原三溪コレクションにとっても最も重要な作品です。
というのも、こちらの 《孔雀明王像》 には、こんなエピソードが。
「仏画は平安時代に限る!」 との持論を持っていたという若き日の原三溪。
そんなある日、政界の大物・井上馨の家で、《孔雀明王像》 を目にする機会をえました。
その時、井上馨はこう言ったのだそうです。
「1万円だったら、譲るよ」 と。
現在の価値にして、3000~5000万円。
今でこそ、美術品が〇億円で取引されることも珍しくないですが、
この当時、美術品を1万円で取引するなんて、ありえなかったそう。
つまり、井上馨は若い原三溪に無理難題をふっかけたというわけです。
しかし、昔話などでは、こういう意地悪じいさんは、たいていラストでやりこめられるもの。
井上馨も例外ではありません (←?)。
後日、マジで1万円を用意してきた原三溪に、《孔雀明王像》 を譲らざるをえなくなったのだそうです。
余計なことを言ってしまったばっかりに。
ともあれ、原三溪が 《孔雀明王像》 を1万円で購入した一件は、新聞の記事になったほど大きな話題に。
これ以来、美術コレクターとして一目を置かれるようになったのだそうです。
ちなみに、そんな 《孔雀明王像》 の右手 (・・・と言っても2本あるので、奥側ほう) にご注目。
国宝 《孔雀明王像》 平安時代後期(12世紀)、絹本着色・一幅、147.9×98.9cm 東京国立博物館蔵、Image:TNM Image Archives
(注:展示期間は7月13日~8月7日)
手にしているのは、倶縁果と呼ばれるインドの柑橘系の果物なのだそうです。
しかし、一説にはレモンという可能性もあるとのこと。
思わず 『ザテレビジョン』 の表紙を連想してしまいました。
ちなみに、類まれなる審美眼の持ち主だったという原三溪。
当時はまだ評価されていなかった琳派にも、
いち早く目を付け、コレクションに加えていたのだそうです。
値段から高いから購入する。
そんなどこぞゾの社長さんとは違って、真の美術コレクターだったようです。
さてさて、2つ目にスポットが当てられていたのは、「茶人」 としての原三溪。
実業家でもあり、茶人でもあった益田鈍翁や高橋箒庵と交流を深める中で、原三溪も茶の湯の道に。
熱心に茶道具を収集し、茶事も多く主催しています。
会場には、そんな原三溪が実際に茶事で用いた茶道具の数々が勢ぞろいしていました。
さて、それらの中には、なぜかイスラムの陶器も。
実は、茶人としてはアバンギャルドだったという原三溪。
伝統にとらわれず、斬新な感性で茶の湯を楽しんでいたようです。
続いて取り上げられていたのは、「アーティスト」 としての原三溪。
まずは、こちらをご覧くださいませ。
画面の左にあるのは、叔父に手ほどきを受け、原三溪が12歳の時に描いたとされる絵。
とても小学生が描いたとは思えない技量の一枚です。
このように元々素質があった彼がやがて、
一流の美術品を蒐集するようになり、日々それらの美術品に囲まれ、
さらには、一流の芸術家たちとも交流を深めていきます。
原三溪 《白蓮》 昭和6(1931)年、絹本淡彩・一幅、128.0×41.6cm
それゆえ、作品の出来は玄人レベル。
当然、『才能アリ』 です。
最後にスポットが当てられていたのは、「パトロン」 としての原三溪。
古美術や茶道具のコレクションだけでなく、
横山大観や今村紫紅といった当時の現代アーティストへの支援にも力を入れていたのだそう。
金銭面で援助するのはもちろんのこと、
自身のコレクションを惜しげもなく披露していたそうです。
原三溪が特に目をかけていたというのが、下村観山。
重要文化財 下村観山 《弱法師》(部分) 大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm 東京国立博物館蔵、Image:TNM Image Archives
(注:展示期間は8月9日~9月1日)
作品を購入するだけでなく、
本牧に土地をポーンと与え、邸宅を構えさせたそうです。
パトロンとしてのスケールが違いますね。
原三溪という名前は、かろうじて知っていましたが。
まさかこれほどまでに偉大で多彩で魅力的な人物だったとは。
横浜美術館の開館30周年に相応しい豪華な展覧会でした。
ちなみに、今回の出展作の中で個人的に印象に残っているのは、伝毛益の 《蜀葵遊猫図》。
重要文化財 伝毛益 《蜀葵遊猫図》 中国・南宋時代(12世紀)、絹本着色・一幅 25.3×25.8cm 大和文華館蔵
(注:展示期間は7月13日~8月7日)
小さな画面の中に、猫が5匹。
親子の猫がいたり、じゃれ合っている子猫がいたり、蝶を見上げる猫がいたり。
シチュエーションは絶対的にカワイイのですが、
なんだかどの猫も微妙に、いや、絶妙にかわいくないのです。
目が可愛くないのでしょうか。
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