本家 (?) である “日曜” のほうでは、
まず取り上げられないであろう美術館のニッチなトピックを紹介するコラム。
それが、『月曜美術館』 です。
アートファンのための会員制クラブ、アーチクラブの会報誌 「arch」 での連載なのですが。
美術館に行きたいのに行けないSTAY HOME週間ということで特別に、
「arch」 の編集長さんとデザイナーの新貝直人さんが、過去回の公開を快諾してくださいました。
今回紹介するのは、連載の中では異色の回。
僕がアートテラーとして、横浜美術館でデビューを果たす。
そのきっかけとなったとある学芸員について紹介した回です。
世界でただ一人の職業、アートテラー。
その誕生の裏には、一人の学芸員さんの存在がありました。
話は今からちょうど12年前、まだ現役で芸人をやっていた頃に遡ります。
当時mixiで書いていた美術展レビューが一部の人たちにウケて、
その方々向けのトークイベントをひょんなことから横浜美術館で開催することに。
窓口となってくれた学芸員さんとのち合わせを終えると、
そこに、ヤ〇ザのような強面の男性が近づいてきました。
そして、僕の前に立つなり、こう言い放ったのです。
「お前か、オモロいことやるって芸人は?」
いきなりわけのわからないオッサンにスゴまれて、言葉が出ない僕。
そんな僕にお構いなしに、その男性は、
「お前、横浜美術館の顔に泥を塗るなよ!」
と言い捨て去って行きました。
これが横浜美術館主席学芸員 (当時)、天野太郎さんとの出会いです。
さて、イベント当日。
ふと気づくと、天野さんがいつの間にか会場の後ろに立っていました。
しかも、ジロリと睨んでいます。
なるべく目を合わさないようにしながら、どうにかこうにかイベントは終了。
すると、天野さんが僕のところに、つかつかやってきて、こう言ったのです。
「まぁまぁオモロかったわ。今度、うちのお客さん向けにもトークしてくれんか?」
このことがきっかけで公式に横浜美術館でトークイベントをする運びとなりました。
ただこの時、僕はまだ某お笑い事務所に所属していたので、闇営業となってしまう可能性も。
そこで、芸人以外の肩書を作ろうという流れになりました。
「よっしゃ、俺に任せとけ」と、妙に張り切る天野さん。
「そうだな、『美術漫談師』ってどうや?」
・・・ダサっ!
マズい、このままでは妙な職業名を付けられてしまう (汗)
そう追い込まれた結果、閃いた名称が、
美術の語り部=アートテラーだったのです。
ちなみに、その公式デビューイベントの結果はというと、緊張のせいでズタボロもズタボロ。
噛むわ。早口になるわ。台詞を忘れるわ。
終演後に、
「お前、お笑いなめとんのか!」
と芸人の先輩にも怒られたことないくらいに、天野さんに怒られました。
でも、あの叱責があったからこそ、今の僕があることは確か。
そういう意味では、天野さんはアートテラーの父、いやアートテラーの義父なのです。
(↑偶然にも父と同じ年齢!)
さてさて、あれから場数も踏んで、多少なりとも成長したはずなのですが。
今でも天野さん会うたびに、「オモンない」「もっと勉強せぇ」 と言われています。
正直、腹が立ったことは何度もありますが、
天野さんの美術に対する情熱、知識量を知っているだけに、ぐうの音も出ません。
そんな天野さんは現在、拠点を横浜美術館から、
横浜市民ギャラリーあざみ野に移し、精力的に展覧会を発信しています。
(人間的にはともかくも、展覧会はどれも素晴らしい!)。
徹底的に現場主義にこだわり、
次世代の現代アーティストを発掘すべく常に日本中を飛び回り、
業者に交じっては、自らトンカチトンカチ会場を設営しています。
そして、毎晩のように若手アーティストや美術関係者と酒を酌み交わしています。
いつ休んでいるのか、時に心配になるほど。
僕も美術に人生を捧げていますが、お義父さんにはまだまだ適いません。
【この記事を振り返って・・・】
今もなお、天野さんは横浜市民ギャラリーあざみ野で学芸員をされていますが。
この冬開催予定の札幌国際芸術祭2020の総括ディレクターに就任されています。
無事に開催できますように!
ちなみに、改めて読み直したら、
2017年の記事なのに 「闇営業」 って言葉を使ってましたね (笑)
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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まず取り上げられないであろう美術館のニッチなトピックを紹介するコラム。
それが、『月曜美術館』 です。
アートファンのための会員制クラブ、アーチクラブの会報誌 「arch」 での連載なのですが。
美術館に行きたいのに行けないSTAY HOME週間ということで特別に、
「arch」 の編集長さんとデザイナーの新貝直人さんが、過去回の公開を快諾してくださいました。
今回紹介するのは、連載の中では異色の回。
僕がアートテラーとして、横浜美術館でデビューを果たす。
そのきっかけとなったとある学芸員について紹介した回です。
世界でただ一人の職業、アートテラー。
その誕生の裏には、一人の学芸員さんの存在がありました。
話は今からちょうど12年前、まだ現役で芸人をやっていた頃に遡ります。
当時mixiで書いていた美術展レビューが一部の人たちにウケて、
その方々向けのトークイベントをひょんなことから横浜美術館で開催することに。
窓口となってくれた学芸員さんとのち合わせを終えると、
そこに、ヤ〇ザのような強面の男性が近づいてきました。
そして、僕の前に立つなり、こう言い放ったのです。
「お前か、オモロいことやるって芸人は?」
いきなりわけのわからないオッサンにスゴまれて、言葉が出ない僕。
そんな僕にお構いなしに、その男性は、
「お前、横浜美術館の顔に泥を塗るなよ!」
と言い捨て去って行きました。
これが横浜美術館主席学芸員 (当時)、天野太郎さんとの出会いです。
さて、イベント当日。
ふと気づくと、天野さんがいつの間にか会場の後ろに立っていました。
しかも、ジロリと睨んでいます。
なるべく目を合わさないようにしながら、どうにかこうにかイベントは終了。
すると、天野さんが僕のところに、つかつかやってきて、こう言ったのです。
「まぁまぁオモロかったわ。今度、うちのお客さん向けにもトークしてくれんか?」
このことがきっかけで公式に横浜美術館でトークイベントをする運びとなりました。
ただこの時、僕はまだ某お笑い事務所に所属していたので、闇営業となってしまう可能性も。
そこで、芸人以外の肩書を作ろうという流れになりました。
「よっしゃ、俺に任せとけ」と、妙に張り切る天野さん。
「そうだな、『美術漫談師』ってどうや?」
・・・ダサっ!
マズい、このままでは妙な職業名を付けられてしまう (汗)
そう追い込まれた結果、閃いた名称が、
美術の語り部=アートテラーだったのです。
ちなみに、その公式デビューイベントの結果はというと、緊張のせいでズタボロもズタボロ。
噛むわ。早口になるわ。台詞を忘れるわ。
終演後に、
「お前、お笑いなめとんのか!」
と芸人の先輩にも怒られたことないくらいに、天野さんに怒られました。
でも、あの叱責があったからこそ、今の僕があることは確か。
そういう意味では、天野さんはアートテラーの父、いやアートテラーの義父なのです。
(↑偶然にも父と同じ年齢!)
さてさて、あれから場数も踏んで、多少なりとも成長したはずなのですが。
今でも天野さん会うたびに、「オモンない」「もっと勉強せぇ」 と言われています。
正直、腹が立ったことは何度もありますが、
天野さんの美術に対する情熱、知識量を知っているだけに、ぐうの音も出ません。
そんな天野さんは現在、拠点を横浜美術館から、
横浜市民ギャラリーあざみ野に移し、精力的に展覧会を発信しています。
(人間的にはともかくも、展覧会はどれも素晴らしい!)。
徹底的に現場主義にこだわり、
次世代の現代アーティストを発掘すべく常に日本中を飛び回り、
業者に交じっては、自らトンカチトンカチ会場を設営しています。
そして、毎晩のように若手アーティストや美術関係者と酒を酌み交わしています。
いつ休んでいるのか、時に心配になるほど。
僕も美術に人生を捧げていますが、お義父さんにはまだまだ適いません。
【この記事を振り返って・・・】
今もなお、天野さんは横浜市民ギャラリーあざみ野で学芸員をされていますが。
この冬開催予定の札幌国際芸術祭2020の総括ディレクターに就任されています。
無事に開催できますように!
ちなみに、改めて読み直したら、
2017年の記事なのに 「闇営業」 って言葉を使ってましたね (笑)
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