江戸美術の展覧会に特に定評のある板橋区立美術館。
そのリニューアル後一発目の江戸美術展として、
現在、開催されているのが、“狩野派学習帳” という展覧会です。
サブタイトルは、「今こそ江戸絵画の正統に学ぼう」。
なお、『正当』 と書いて、『メインストリーム』 と読みますので、ご注意のほどを。
江戸絵画をテーマにした展覧会というと、
昨今、伊藤若冲や曽我蕭白といった奇想の絵師が人気ではありますが。
こちらの展覧会では、「奇想もいいけど正統派もね!」 とばかりに、
あえて江戸絵画のメインストリームである狩野派をフィーチャーしています。。
“狩野派の祖” である狩野正信の作品にはじまり、
狩野派随一の天才絵師と称された狩野探幽の作品、
狩野派中興に大きく貢献した狩野典信の作品、
さらには、幕末に活躍した逸見一信まで。
板橋区立美術館が誇る狩野派コレクションが惜しげもなく出展されていました。
しかも無料!
それも、全面的に写真撮影OKで!
江戸絵画好きの皆さま、これは今すぐ行かねばならない展覧会ですよ。
ちなみに。
先ほど、サラッと登場した逸見一信なる人物。
「狩野じゃないじゃん!」 と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
実は彼の正体は、増上寺が所蔵する超大作 《五百羅漢図》 を描いたことで知られる狩野一信です。
確かに、言われてみれば、上で紹介した 《源平合戦図屏風》 には、
《五百羅漢図》 を彷彿とさせる狩野一信らしい独特なタッチの人物が多数描かれています。
ん?でも、何で狩野一信でなく、逸見一信??
と疑問に思っていたら、なんでも最近の研究により、
生前に 「狩野一信」 と名乗っていなかったことが判明したのだそうです。
狩野一信でも、逸見一信でも、作品の素晴らしさには変わりありません。
さてさて、他にも印象的だった作品をいくつかご紹介いたしましょう。
まずは、狩野典信の 《唐子遊図屏風》。
さまざまなタイプの唐子が描かれている屏風です。
そんな唐子の中に・・・・・・・
フワちゃんみたいなのが混じってました。
この時代から、あのヘアスタイルからは存在していたのですね。
続いては、狩野寛信 (融川) の 《桃花西王母図》。
作品そのものというよりも、狩野寛信という人物が印象に強く残りました。
なんでも、自身が工夫を込めて描いた絵を、
絵の素人から 「狩野派らしくない」 と非難されたことに腹を立て、
帰宅途中に、駕籠の中で切腹したのだそうです (服毒死という説も)。
それゆえ、『腹切り融川』 と呼ばれているのだそう。
画家の通り名はいろいろありますが、これほどまでに強烈な通り名はない気がします。
また、今展では、近年収蔵されたばかりの新収蔵品の数々も惜しげもなく出展されています。
先ほど登場した逸見一信の 《七福神図》 や、
幕末から明治にかけて活躍した小林永濯の 《神話図》 も見ごたえたっぷりでしたが、
それ以上に見ごたえがあったのが、
北斎の門人の一人、蹄斎北馬の 《竜口対客・上野下馬・桔梗下馬 図》 という三幅対の作品です。
とにもかくにも、“密です” な作品。
人がうじゃうじゃと描き込まれています。
特に印象に残っているのは、一番右の 《桔梗下馬》。
桔梗とは、江戸城へ登城する際に使われた内桜田門 (=桔梗門) のこと。
その門前は 「下馬」 と呼ばれ、江戸城に入ることが叶わない家臣たちが、そこで待機していました。
余談ですが、待機していた家臣たちが、主君の出世について、
あぁでもないこうでもないと話したことから生まれたのが、『下馬評』 という言葉です。
主君が江戸城で大事な仕事をしているわけですから、
きっと家臣たちもピシッと姿勢を正して待機しているだろうと思っていたのですが・・・・・・・・
全然ダラダラしていました (笑)
社長が見ていないところで、こっそり息抜き。
昔も今もサラリーマンというのは、そういうものなのでしょう。
最後に。
せっかく “狩野派学習帳” という展覧会タイトルなので、
あの学習帳の表紙に一番ふさわしそうな狩野派の絵画を自分なりに選んでみました。
おそらく、こちらの狩野栄信の 《花鳥図》 ではないでしょうか。
コラしてみたら、この通り。
メチャしっくりきますね。