2020年。
札幌国際芸術祭や、さいたま国際芸術祭、
北アルプス国際芸術祭など、多くの芸術祭が中止、あるいは延期となる中で、
“ヨコハマトリエンナーレ2020” は本来の開幕予定より2週間ほど遅れたものの無事開幕しました。
7回目となる今回のアーティスティック・ディレクターを務めるのは、
インド人アーティスト3名によるグループ、ラクス・メディア・コレクティヴ。
彼らが掲げた今回のトリエンナーレのコンセプトは、「AFTERGLOW-光の破片をつかまえる」 です。
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実に詩的なフレーズではありますが、
具体的には何を指しているのかよくわからず。
このコンセプトがよりイメージしやすくなるように、
・独学─自らたくましく学ぶ
・発光─学んで得た光を遠くまで投げかける
・友情─光の中で友情を育む
・ケア─互いを慈しむ
・毒─世界に否応なく存在する毒と共存する
という5つのソース (=源泉) も提示されていました。
出展作家の皆さまはこの5つのソースをもとに、作品を制作されたようです。
メインとなる会場は、2つ。
まずは、1つ目の会場となる横浜美術館に向かいました。
すると・・・・・・・
普段と違って、外観がグレーの幕のようなものに覆われているではないですか。
「外壁のメンテナンス中??」 と思いきや、
こちらはイヴァナ・フランケという作家による作品とのこと。
二重になっているので、縞模様がモアレを起こし、
建物があいまいな姿になるというような作品でした。
ではでは、横浜美術館の中へ。
エントランスに展示されていたのは、
ニック・ケイヴによる 《回転する森》 という大型インスタレーション作品。
吹き抜け空間全体を覆い尽くしているのは、
アメリカの住宅の庭に装飾として飾られるガーデン・ウインド・スピナーです。
くるくるキラキラ。
「これぞ、インスタ映えアート!」 というような、まさにお手本のような作品でした。
インパクトある外観といい、 《回転する森》 といい、
“今回のヨコハマトリエンナーレは、楽しくわかりやすい路線なのかな♪” と油断していたら、
いざメインとなる展示室に入ったら、カウンターパンチを喰らいました (←?)。
過去同様に、なかなかの難解さ。
頭を空っぽにして楽しむタイプとは逆の、
歯ごたえある作品が多く出展されていました。
「これってどういう作品なの??」 と思って、
何度もキャプションに助けを求めたのですが。
ラクス・メディア・コレクティヴは、よほど詩的なフレーズが好きらしく・・・・・
解説文も見事にポエティック。
このポエティックなキャプションに対して、
キャプションのキャプションも掲示されていたのですが、
そこには 『「わからない」 を楽しみましょう』 的な一文が書かれていました。
・・・・・・・いやいやいや。展示する側が、それを言っちゃあ、おしまいよ。
コロナ禍の中で、これだけの規模のもを開催したことは、
純粋にスゴいとは思いましたが、どこかモヤモヤさせられるトリエンナーレでした。
もう一つの会場については、明日また紹介するとしまして。
横浜美術館の会場の出展作で印象的だったものをいくつかご紹介いたしましょう。
まずは、キム・ユンチョルの 《クロマ》 という作品。
ポリマーで作られた数百のセルを、
数学の結び目理論に基づいて構成したのだそう。
これ以上ないくらいに、絡みまくっていました。
なお、この作品は毎時30分になると、15分間点灯します。
サイバー感、3割増し。
わかる人しかわからない例えで恐縮ですが、
伝説のシューティングゲーム 『R-TYPE』 を思わず連想してしまいました。
続いては、オーストラリアのアーティスト、
ロバート・アンドリューによる 《つながりの啓示―Nagula》。
こちらは、90日間かけて、とある言葉を浮かび上がらせるという作品。
インクを吹き付けて文字を書くのではなく。
壁にあらかじめ吹き付けられた土や土絵具の層を、
ノズルから噴射された水が侵食することで、文字が現れる仕組みなのだとか。
ちなみに、浮かんできた単語は、オーストラリアのヤウル族の言葉とのこと。
『Nagula』。
ネプチューンの名倉さんとは関係ないようです。
続いて紹介したいのが、オスカー・サンテイランの 《宇宙工芸船(金星)》 という作品。
実際のところ、本当なのかはわかりませんが、
この作品は、金星と同じ成分の土で作られているのだそう。
見た目は地味ですが、ロマンを感じる作品でした。
今展の作品で一番グッと来たのは、佐藤雅晴さんの作品群です。
8年にも及ぶ癌との闘病生活の末、昨年お亡くなりになった佐藤さん。
そんな佐藤さんが余命宣告を受けてから制作に取り掛かった作品群で、
病床から見える空やお風呂場のタイルなど、日常の小さなモチーフが描かれています。
特に印象的だったのが、こちらの時計。
多数の絵画作品に交じって、時計が設置されていました。
何の変哲もないシンプルな時計なのですが、
この時計には、《now》 というタイトルが付けられていました。
今、自分は生きている。
当たり前ですが、普段は意識しないそのことを、強く実感させられる作品でした。
最後に。
テンションがだだ下がりしてしまった作品をご紹介。
タウス・マハチェヴァの 《目標の定量的無限性》 という作品です。
会場に置かれていたのは、傾斜のある平均台や、
小さすぎるトランポリンなど、何かしら不具合のある体操用具の数々。
それ自体は面白かったのですが。
周囲に設置されたスピーカーからは、
「男のくせに」 とか 「お兄ちゃんなんだから!」 とか、抑圧的な言葉が絶えず流れてきます。
居心地悪いことこの上なし!
何でお金払って展覧会に来て、こんな想いをしなくてはならないんだ!