今、京都の嵐山は紅葉のベストシーズンを迎えています。
そんな嵐山の渡月橋のほど近くに昨年10月にオープンした福田美術館で、
開館1周年を記念して、現在開催されているのが、“悲運の画家たち” という展覧会。
画家にまつわる悲運なエピソードに焦点を当てつつ、
長谷川等伯や竹久夢二、上村松園をはじめとする、
福田美術館が所蔵する名作の数々を一挙公開する展覧会です。
あの画家の人生に、そんな悲しい出来事があっただなんて。
涙なしには見られない展覧会でした。
開館1周年おめでとうございます・・・・・からの悲しい話のオンパレード。
感情の高低差がありすぎて耳キーンってなるレベルでした (笑)
彼らの悲運のエピソードを知った上で、
作品を観ると、その印象はガラッと変わることでしょう。
例えば、大正時代に活躍した速水御舟。
40歳という若さで亡くなっているのが、何よりもの悲運ではありますが。
下駄を脱げば回避できそうな気もしますが・・・・・。
それはともかくとして、その事故以来、御舟は義足で過ごしました。
そんな状態でも引きこもることなく、むしろ精力的に日本全国を取材した御舟。
代表作の 《炎舞》 や 《名樹散椿》 は、義足になって以降に描かれた作品です。
また、30歳の時には、
義足で歩き回っていたのを知った上で、
また例えば、木村武山。
横山大観、下村観山、菱田春草と並んで、
岡倉天心門下の四天王の一人に数えられるも、現在は知名度が今一つな人物です。
彼に悲運が襲ったのは、62歳の頃。
脳溢血で倒れた影響により、利き腕であった右手の自由が効かなってしまったのです。
ある日、絶望する武山のもとに、両腕を失った大石順教という尼僧が訪れます。
そして、武山の目の前で、口に筆を加え、絵を描きました。
その姿に感動した武山は、左手で絵を描くことを決意。
以来、「左武山」 と呼ばれたそうです。
自分もこういう仕事なので、
もし声を失ったら、どうしようと悩むことが多々あります。
(そういう夢をまぁまぁ見ます)
なので、武山の絶望感にシンパシーを覚えました。
さてさて、展覧会ではこの他にも、
京阪電車に轢かれ非業の死を遂げた木島桜谷や、
毒殺とも自殺ともいわれる謎の死を遂げた長沢芦雪も紹介されています。
しかし、その中でも一番衝撃的な死にざまだったのが、
こちらの 《花奴弄璨孥図》 を描いた江戸時代の絵師・田中訥言の死にざまです。
50代半ばにして、眼病により視力を失ったという田中訥言。
それに悲嘆し、舌を噛み切り命を絶ったのだそうです。
何その捕まったテロリストみたいな最期。。。
なお、展覧会は前後期制となっており、半数以上の作品が入れ替えとなります。
前期には、重要文化財の 《四季草花図屛風》 が出展中です。
作者は、その人物像がいまいちよくわかっていないという深江芦舟。
銀座の役人であった父親に不正の疑惑が持ち上がり、親子ともども流罪になったのだそう。
そのショックで母親は、井戸に身投げして命を絶ったのだそうです。
そんな芦舟が、なぜ学んだのかも、
どのタイミングで学んだのかも、いまいちよくわかっていないそうですが。
尾形光琳に師事し、琳派風の絵をいくつか残しているのだとか。
確かに、菊や蕨など、描かれている草花を一つ一つ見れば、琳派風なのですが。
他の琳派の画家のようなスタイリッシュさは、ありません。
しかし、描かれた草花がどれも野性味があって生命観に溢れていました。
ワイルドな琳派です。
ちなみに。
展覧会では、悲運のエピソードを持つ画家の作品だけでなく、
悲運のエピソードを題材とした作品の数々も紹介されています。
そのうちの1点が今展のメインビジュアルにも使われている・・・・・・
尾竹國観の 《文姫帰漢》 です。
描かれているのは、蔡文姫 (またの名を、蔡琰) のエピソード。
後漢・三国時代の詩人で才女であった蔡文姫。
最初に嫁いだ夫や父を相次いで亡くした悲しむ彼女に、さらなる悲運が!
戦乱の中、胡の兵に拉致されてしまい、
その後、南匈奴の王に嫁がされ、胡の地で子供を2人もうけます。
その12年後、彼女の父と仲の良かった曹操により、晴れて漢の地に戻れることに。
しかし、2人の子どもは、漢に戻ることができず。
そんな母と子の別れを描いた作品なのです。
『世界名作劇場』 ばりの悲しいシーン。
『世界名作劇場』 ばりに動物たちが、いいアクセントになっていました。