昨日ご紹介した福田美術館から、
歩いて数分の位置にあるのが、
2018年にリニューアルオープンしたばかりの嵯峨嵐山文華館です。
藤原定家が百人一首を選んだ地、小倉山の麓にあり、
2017年3月までは、百人一首殿堂 時雨殿として運営されていました。
リニューアルした今も、百人一首に関する展示は健在。
常設展示コーナーでは、江戸時代の百人一首から、
漫画 『ちはやふる』 まで、百人一首にまつわる品々が紹介されています。
中でも圧巻だったのが、百人一首を詠んだ歌人を再現した100体のフィギュア。
100体乗っても大丈夫な展示ケースに、ズラリと並べられています。
なお100体のフィギュアはすべて、
このミュージアムのために作られたオリジナルとのこと。
一つ一つ精巧に作られているので、
天智天皇から順徳院まで、じっくり眺めたくなること請け合いです。
さてさて、そんな嵯峨嵐山文華館では現在、
開館以来初の福田美術館との共同企画展として、“悲運の画家たち” が開催中。
長男を亡くした心労で神経衰弱に陥った西村五雲や、
多くの病魔と闘い、38歳でこの世を去った岸田劉生など、
福田美術館と同様に、悲運のエピソードを持つ画家も紹介されていますが。
こちらの嵯峨嵐山文華館では、「忘却にも負けず」 と題して、
源琦、長沢芦洲、2世五姓田芳柳、真野紀太郎、菊池素空・・・etc
かつては人気画家だったものの、
現在では⼀般的にほぼ知られていない画家たちが紹介されています。
“忘却された画家” というくくりで紹介されるだなんて。。。
福田美術館で紹介されていた画家たちよりも、
ある意味、もっと悲運な画家たちといえるでしょう。
ただし、誤解は無きように。
決して、『知名度がない=実力がない』 というわけではありません!
むしろ、その逆。
実力は、折り紙付きです!
例えば、こちらの山内信一という画家。
名前はめちゃくちゃシンプルながらも、作風はめちゃくちゃ緻密。
籠の中のワカケホンセイインコの羽毛も、
イングリッシュポインターの毛並みも、籠の網目も、どれをとっても緻密でした。
観れば観るほど目が釘付けになる作品です。
これだけの実力の持ち主ゆえ、当然、生前は評価されていたそう。
文展や帝展に、1918年から7年連続で入選するという快挙を成し遂げたそうです。
しかも、のちに審査員としても活躍したとのこと。
間違いなく、もっと評価されるべき画家です。
また例えば、山元春挙。
竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家でありながら、
現在の知名度に関して言えば、竹内栖鳳と比べると今一つの感があります。
しかし、生前の春挙はファンが多く、
あの明治天皇も春挙のファンだったそうで。
亡くなる際、床の間に春挙の作品を掛けていたほどだったとか。
ちなみに、こちらの 《蓬莱山》 という作品も、春挙の作品です。
モノクロの画面ながら、えげつないほどの迫力。
奥に聳えたつ山々と、川を挟んで手前にある山々が、
まるで睨み合いをしているかのような緊張感が漂っています。
どことなく 『クローズZERO』 を連想させるものがありました。
さてさて、展覧会は2階へと続きます。
2階の展示室は土足厳禁。
手前で靴を抜いで、会場へと歩を進めます。
すると、目の前に飛び込んできたのは・・・・・・・・
巨大な畳張りの展示スペースです。
座ってもヨシ、寝転がってもヨシの全120畳!
おそらく日本最大、いや、世界最大の畳張りの展示スペースといえましょう。
なお、こちらの2階の展示スペースは、
競技用かるたの試合会場として使用されることもあるそうです。
そんな2階で紹介されていた作品では、岸駒の 《花鳥図屏風》 や、
江戸時代の女性漢詩人で画家の江馬細香も良かったですが。
もっとも目を奪われたのは、こちらの 《高雄秋景・嵐山春景図屏風》 です。
現代の目から見ても、十分にスタイリッシュなセンスを感じる作品。
明治や大正に活躍した画家の作品かと思いきや。
江戸時代に京都で活躍した画家による作品でした。
その画家の名前は、矢野夜潮。
ここ最近、ヨルシカ、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに、と、
“夜” という言葉を名前に含む3組のアーティストが人気を博しており、
そのファンたちを、「夜好性」 と呼ぶのだそうです
この 《高雄秋景・嵐山春景図屏風》 を観て、
矢野夜潮のファンになった僕もまた、「夜好性」 なのかもしれません。