江戸の吉原、大坂の新町とともに、
幕府公認の花街として、『日本三大遊廓』 に数えられた京の島原。
現在は、その当時の情景をなんとな~く残しているに過ぎませんが、
幕末に建て替えられたという玄関口 「島原大門」 は当時と同じ場所に残されていました。
かつて、この島原には、50軒ほどの置屋と、20軒ほどの揚屋があったそう。
しかし、現存し、今なお営業を続けているのは、こちらの輪違屋1軒だけなのだそうです。
さて、そんな島原エリアの一角に、
もう一軒、当時を偲ばす建造物が残っています。
それが、角屋 (すみや)。
島原で唯一、いや、日本でも唯一現存する揚屋建築で、
その貴重さゆえに、国の重要文化財に指定されています。
ちなみに。
先ほどから何度か登場している 「置屋」 と 「揚屋」 という言葉。
その違いを簡単に説明いたしますと、こうなります。
置屋:芸妓を育て、住まわせる場所
揚屋:現代でいう宴会場付きの料理屋
揚屋には、芸妓は置かれていないので、
宴会のたびに置屋から出張してもらっていたそうです。
今でいえば、パーティーにコンパニオンを派遣してもらう感じでしょうか。
さてさて、この角屋は、昭和60年ごろまでは宴会業務を行っていたようですが、
現在は、角屋もてなしの文化美術館として、春と秋に揚屋建築を公開しています。
その美術館の一角では、企画展が開催されています。
現在、開催されているのは、
角屋の所蔵品の中から、扇にちなむ作品を紹介する “扇の趣展” 。
尾形光琳による扇絵を筆頭に、扇型のお皿や扇形の火鉢、
扇を大胆にデザインに取り入れた着物などが紹介されていました。
とはいえ、美術館のメインとなるのは、やはり揚屋建築。
なんといっても一番の見どころは、43畳という広さを誇る大座敷 「松の間」 です。
座敷に面した庭からは、広重や国貞も浮世絵に描いたという、
名物の臥龍松の立派な枝ぶりと、歴史ある茶室を眺めることができます。
西郷隆盛や久坂玄瑞といった幕末の志士の御用達だったという角屋。
なんと、この 「松の間」 は、
新撰組の初代局長である芹沢鴨が、
暗殺される直前まで宴会していた場所なのだとか。
近藤勇や土方歳三らは、この 「松の間」 で、
芹沢鴨にたらふく酒を飲まし、酔ったところを襲ったのだそうです。
なお、その宴会の際のものではないですが、
角屋には、新撰組の隊士がふざけて付けた刀傷も残されています。
新撰組ファンなら、一度は訪れたいスポットです。
また、松の間以外にも、網代天井が見事な 「網代の間」 や、
京都の名刹の庫裏と同規模の大きさを誇る台所なども見学が可能。
写真撮影も可能となっています。
さらに、事前予約制となりますが、プラス800円を払えば、
2階にある 「扇の間」 や 「青貝の間」 といった豪華な宴会場も案内付きで見学することも。
贅を尽くした宴会場は、追加料金を払ってでも見る価値ありです!
当時の当主が円山応挙や池大雅らに描かせたという襖絵などを観ることもできますよ。
角屋もてなしの文化美術館というネーミングセンスこそアレですが (笑)
京都を訪れた際には、一度は立ち寄りたい美術館です。
なお、余談ですが。
角屋もてなしの文化美術館の上空を見上げたら・・・・・・・
異様なくらいにトンビが何羽も飛んでいました。
やはり、トンビは “揚” が好きなのでしょう。