現在、根津美術館で開催されているのは、
“狩野派と土佐派 幕府・宮廷の絵師たち” という展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
日本美術史上にその名を残す2大流派、
狩野派と土佐派にスポットを当てた展覧会です。
狩野正信を祖とし、室町時代から江戸時代末期まで、
約400年にもわたって、日本の画壇のトップに君臨し続けた狩野派。
そこをフォーカスした展覧会は、これまで何度も開催されていますが、
土佐派をフォーカスした展覧会は、少なくとも僕の記憶にはありません。
ざっくり言ってしまえば、狩野派はダイナミックな絵を得意とした流派。
対して、土佐派は 《源氏物語絵巻》 のような、
いわゆる “やまと絵 (=純日本風な絵)” を得意とした流派です。
伝 土佐行秀 《羅陵王図》 上村和堂氏寄贈 1幅 絹本着色 日本・室町時代 15世紀
土佐派の歴史は狩野派よりも古いものの、
朝廷の絵所預 (えどころあずかり) として活躍した土佐光信の時代をピークに勢いが失速。。。
光信の孫・土佐光元が秀吉の但馬攻めに加わり、討ち死にしたことで、
土佐派は、ついには世襲していた絵所預のポジションも失ってしまいます。
さらに、狩野派が躍進し始めたことで、ますます仕事が無くなり、
一時、土佐派は狩野派の下請け業者同然にまで衰退していたそうです。
そんな土佐派のピンチを救ったのが、土佐光起。
土佐光起 《源氏物語朝顔図》 1幅 絹本着色 日本・江戸時代 17世紀
土佐光元以来、実に85年ぶりに、
土佐光起は、宮廷の絵所預職に復帰しました。
以後、土佐派は幕末まで、朝廷でのポジションを守り続けたのです。
朝廷や公家に好まれた絵ということで、あまり派手さはなく、
一般的な桃山絵画展や江戸絵画展では目立たない存在の土佐派ですが。
その歴史は、狩野派に負けないくらいにダイナミック!
展覧会を通じ、逆転人生を知れたことで、
土佐派に初めて興味を持つことが出来ました。
・・・・・・とはいえ。
やっぱり印象に残った作品は、狩野派のものばかり (笑)
例えば、狩野益信の 《玄宗皇帝並笛図》。
狩野益信 《玄宗皇帝並笛図》 1幅 絹本着色 日本・江戸時代 17世紀
玄宗皇帝と楊貴妃が1つの笛を吹いています。
ポッキーゲームか!
てか、そもそも笛を2人で吹くって何なん?
「じゃあ、私吹くから、あなた下の方の指抑えてね」
「はーい。じゃあ、この穴とこの穴を塞いじゃおうかな」
イチャつくバカップルにしか見えません。
また例えば、狩野尚信の 《文殊・荷鷺・芦雁図》。
狩野尚信 《文殊・荷鷺・芦雁図》 3幅 絹本墨画淡彩 日本・江戸時代 17世紀
左右に鳥を従えて (?) 、
センターに構えているのは、文殊菩薩です。
知恵を司る学問の神様ゆえ、絵画や仏像では、
たいてい聡明なお顔立ちをしていらっしゃいますが。
なぜか、この文殊菩薩は・・・・・・・
表情が死んでいました。
完全なる徹夜明け。
クマとむくみがすごいです。
ちなみに。
正確には、狩野派ではないですが、
狩野正信の師とされる小栗宗湛の作品も印象的でした。
伝 小栗宗湛 《牡丹蝶図》 小林中氏寄贈 1幅 紙本着色 日本・室町時代 15~16世紀
力強くぼってりと咲く牡丹と、
可憐にひらひら舞い散る蝶。
家に飾りたくなる素敵な絵ですよね・・・・・・ん?
よくよく見てみると、何かこう生理的にざわつくものがあります。
おそらく、その原因は蝶の描き方でしょう。
こっちのアングルから描くなよ。
何で身のほう (?) を見せんねん。
なお。展示室5では、“狩野派と土佐派” とは別に、
普段あまりお披露目される機会がないお伽草子絵巻2点が公開されています。
そのうちの1点が、絶世の美女・玉藻前にまつわるお話を描いた 《玉藻前物語絵巻》 です。
《玉藻前物語絵巻》 2巻 紙本着色 日本・室町時代 16世紀
実は、玉藻前の正体は、妖狐。
物語のクライマックスで、その本来の姿がついに明らかになるのですが・・・。
下手すぎんだろ!
一番大事なところなのに。
絵が下手すぎて、肝心の物語が入ってきませんでした。
狐というか、ラスコーの壁画みたいだし。
┃会期:2021年2月25日(木)~3月31日(水)
┃会場:根津美術館
┃http://www.nezu-muse.or.jp/(オンライン日時予定制)