新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
今年1月2日から臨時休館していたちひろ美術館・東京ですが、
先日3月16日に、十分に安全に配慮したうえで臨時休館が解除されました。
当面、開館時間が短縮されるようですが、無事に再開を果たしています。
そんなちひろ美術館・東京で、現在開催されているのが、
“没後1年 田畑精一『おしいれのぼうけん』展” という展覧会。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
こちらは、昨年89歳で亡くなった絵本画家、
田畑精一の画業を偲び、開催されている展覧会です。
代表作の 『おしいれのぼうけん』 の貴重な原画の数々が紹介されています。
田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)より 1974年
『おしいれのぼうけん』 は、1974年の刊行以来、
現在までずっと売れ続けている大ベストセラー絵本。
現時点で、232万部 (!) を超すミリオンセラーとなっているそうです。
ためしに、展示室にあった 『おしいれのぼうけん』 を開いてみたところ・・・・・
2002年の時点で、159刷発行となっていました!
僕が過去に出した本は3冊とも、
1回も増刷されていないというのに (涙)
・・・・・と、それはさておき。
『おしいれのぼうけん』 の表紙を見てみると、そこには、
「さく/ふるたたるひ たばたせいいち」 と、二人の名前が掲載されています。
実はこの絵本は、画家の田畑精一と、
児童文学作家の古田足日が共同で制作したもの。
文章に絵を添えるのではなく。
また、絵に文章を添えるのではなく。
2人で意見を交わしながら、絵本づくりをしたのだそうです。
さて、この絵本が当時何よりも画期的だったのは、
子どもたちのリアルな生活を描くべく、保育園を舞台にした点にあるとのこと。
今でこそ 『クレヨンしんちゃん』 がありますが、当時はかなり珍しかったのだそうです。
保育園でのリアルな生活を描くため、
田畑は実際に入園して、取材を行ったとのこと。
ただし、ギックリ腰により、入園生活はわずか1日で終了してしまったのだとか (笑)
その代わり、入院中にいろんな画材を試すことができたそう。
最終的には、ペンでも絵の具でもなく、
画用紙に鉛筆で描くスタイルに落ち着いたのだそうです。
田畑精一 『おしいれのぼうけん』(童心社)より 1974年
ちなみに。
さきほど、2人の共作と言いましたが、
実はこの絵本の完成には、もう一人重要な人物が存在しています。
それは、編集部の酒井京子さん。
すべての絵が完成したあと、
田畑と古田、そして酒井さんの3人で、
調整作業を、伊豆で合宿の形で行ったのだとか。
それも、4泊5日で!
名作誕生の裏には、こんな影の努力があるのですね。
ベストセラーはこうして誕生するのですね。
自分も見習わなくては!
なお、展覧会では他にも、田畑の自伝的絵本・・・・・
『さくら』 の原画も紹介されています。
この絵本は、平和を願う日本、中国、韓国の絵本作家が国を超えて交流を重ね、
平和と戦争について語り合い、絵本を作る日・中・韓 平和絵本プロジェクトから生まれた一冊です。
ちょうど先日、開花宣言も発表され、
日本人が毎年その開花を楽しみにしている桜。
なんとなく、平和の象徴のような印象がありますが。
田畑精一 『さくら』(童心社)より 2013年
戦時中、軍人や軍国少年たちは、
「桜の花のように散れ」 と発破をかけられたのだそう。
展示室で、『さくら』 を手に取って読んでみましたが、
桜に対して複雑な気持ちを抱く世代の田畑にしか描けない一冊という感想を抱きました。
ちなみに、美術館では、
現在同時開催として、“ちひろ・子どもは未来” も開催中です。
外から光が差し込む展示室4では、
ピエゾグラフで見る 『窓ぎわのトットちゃん』 が開催されています。
いわさきちひろ こげ茶色の帽子の少女 1970年代前半
行動が自由すぎるトットちゃん (若き日の黒柳徹子さん)。
もし、トモエ学園ではなく、
『おしいれのぼうけん』 の幼稚園に通っていたら、
ぼうけんを余儀なくされていたかもしれません。