3月20日。
私ごとですが、本日、
誕生日を迎え、38歳となりました。
38歳は、カラヴァッジョや岸田劉生、有元利夫の享年。
また、狩野派の絵師の中でもっとも強烈な最期を遂げた狩野融川の享年でもあります。
・・・・・不吉ですね。
幕府から朝鮮王へ贈答する屏風絵を頼まれた狩野融川。
その完成品を目にした当時の老中がこう言いました。
「金砂が薄くて、狩野派らしくない」
絵の素人から非難されたことに腹を立てた融川は、
その帰宅途中に、なんと駕籠の中で切腹したのだとか。
それゆえ、ついたあだ名は 『腹切り融川』。
彼を反面教師にして、どれだけ嫌なことがあっても、
帰り道に腹を切る真似だけはしないようにいたします。
さて、あだ名と言えば。
これまでに実に多くの方がたから、
「何で “とに~” なんですか?」 と質問されてきました。
そういえば、このブログで紹介したことはなかったようです。
そこで、本日は誕生日と言うことで、
“とに~” という名前が誕生したきっかけをお話したいと思います。
あれは、高校1年生の時の話です。
中学時代に続き、高校でもバレー部に入部した僕。
このバレー部の新入部員へのしごき (?) の一つに、
コートのエンドラインに一列に新入部員が並ばされ、
反対側のエンドラインにいる先輩たちに向かって、自己紹介するというのがありました。
新入生は頑張って大声で自己紹介するも、
先輩たちは、「声が小さいぞ!もう一回!」 と自己紹介を何度も強要。
声が潰れるくらいまで、繰り返し自己紹介を続けさせられるのです。
そして、いよいよ僕の番がやってきました。
とはいえ、中学校からお笑いをやっているため、
腹式呼吸をマスターしていた僕は、一発で難なく、
「大山敦士です!」 と声を通すことに成功しました。
と、それが先輩たちには面白くなかったのでしょう。
当時キャプテンだった3年のO田が、
間違いなく聴こえていたにも関わらず・・・・・
「え?トニー?」
と聞き返すというしょうもない小ボケをかましたのです。
完全にスベってましたね。
僕の記憶が確かなら、
隣で練習していたバスケ部のドリブルの音が消えてシーンとなってました。
さて、この状況はマズイと咄嗟に判断したのでしょう。
2年の先輩たちが、3拍遅れくらいで、
「O田先輩、マジ面白いっスよ!トニーなんて言ってないっスよ!」 とよいしょ笑いしたのです。
それ以来、僕を見つけては、トニーと呼ぶ2年の先輩たち。
そこまでして、O田のあのスベりを帳消しにする必要はあったのか。
何はともあれ、こうしてトニーという呼び名が誕生したのです。
しかし、幼稚園から中学まで、「アッチ」 でやってきた僕としては、
到底 「トニー」 という名は受け入れられず、断固として拒否しました。
だって、意味わからないし。
しかし、「僕は嫌だ!」 と必死に抵抗し続けるも、
トニーという名のキャッチーさは、素早い速度で学校に浸透していくのです。
そして、1か月後のある日。
夕食を囲む我が家に1本の電話がかかってきました。
受話器を取った母が、何やら困惑しています。
父が 「何だ?勧誘の電話か?切っちゃえ」 と言うと、母はこう返しました。
「いや、何か、高校の連絡網らしいんだけど。
トニーってのがいるかってよくわからないこと言ってて・・・・・」
「・・・・・・・・あ、それ僕です」
これはもう受け入れるしかない。
トニーの名を受諾した瞬間です。
とに~となって、早20年以上。
本名で呼ばれていた年月よりも長いため、
今ではすっかり “とに~” のほうが馴染んでいます。
たまに本名で呼ばれても、キョトンとしてる時があるくらいです (笑)
というわけで。
これからも、とに~として、お付き合いいただけましたら幸いです。
ちなみに。
本日よりツインツイン復活回の後編が配信スタートしました。
長年の夢だった芸人の深夜ラジオ。
そんなテイストでお送りしています。
アートをテーマにした投稿コーナーも多数ありますので、どうぞお楽しみに♪