40年という短い生涯の中で、約700点の作品を残したという速水御舟。
そのうちの計120点を所蔵していることから、
「御舟美術館」 とも称されている山種美術館では現在、
開館55周年記念特別展として、“速水御舟と吉田善彦―師弟による超絶技巧の競演―” が開催されています。
早逝の天才画家・速水御舟と、
その弟子にあたる吉田善彦 (1912~2001) の師弟展です。
展覧会の前半で紹介されているのは、
もちろん師匠である速水御舟の作品の数々。
昭和期の絵画としては初めて重要文化財に指定された 《名樹散椿》 や、
重要文化財 速水御舟 《名樹散椿》 山種美術館蔵
修理・調査後、初公開となる 《和蘭陀菊図》 を筆頭に、
速水御舟 《和蘭陀菊図》 山種美術館蔵
山種美術館が誇る御舟コレクションの中でも、
特に人気の高い名品たちが惜しげもなく一挙公開されています。
また、師弟展ならではの試みとして、
いくつかの御舟の作品に関しては、吉田善彦の言葉も併せて紹介されていました。
例えば、こちらの 《牡丹花(墨牡丹)》 という作品。
速水御舟 《牡丹花(墨牡丹)》 山種美術館蔵
一見シンプルに感じられますが、
実は墨の濃淡だけで花弁を表現した超絶技巧な作品です。
吉田の推測によれば、墨の滲みが狙ったところで止まるよう、
あらかじめ花びらの形に水を引いておいたのではないかとのこと。
誰よりも間近で作品を観てきた弟子ならではの考察です。
そうした近しい人物の声が紹介されているのが、今展の一つのポイントです。
また、吉田善彦情報によれば、《翠苔緑芝》 の葉の下塗りには、
人工的に合成された花緑青という顔料が使われているのだそう。
速水御舟 《翠苔緑芝》 山種美術館蔵
その理由は、緑青の下に花緑青を塗ると色が冴えるからだそうです。
速水御舟 《翠苔緑芝》(右隻) 山種美術館蔵
吉田のタレコミ (?) によると、この作品が発表されたのをきっかけに、
我も我もと花緑青を求める人々が殺到し、絵具屋が一儲けしたとのこと。
御舟モデル、人気だったのですね。
さて、展覧会後半の主役は、吉田善彦です。
17歳の時に、親戚の御舟に弟子入りし、
日本画の基礎や、画家としての姿勢を学びました。
御舟が急逝したあとは、小林古径に師事したそう。
なお、主なき後の御舟の画室を、
吉田善彦は使わせてもらってもいたそうです。
ちなみに、童画家の武井武雄だとか、
日本のシュルレアリストの浜田浜雄だとか。
犬山犬子方式 (?) の名前を親に付けられた芸術家が、稀にいます。
吉田善彦もそのパターンなのかと思いきや、本名は吉田誠二郎とのこと。
善彦は自ら付けた雅号なのだそうです。
自分から 「吉田」 に寄せたわけですね。何ゆえ??
と、それはさておき。
吉田善彦といえば、吉田様式。
一度描いた絵の画面をよく揉みほぐした後に、
金箔をベールのようにかぶせて、その上にもう一度色を置く。
吉田が編み出したオリジナルの技法です。
吉田善彦 《大仏殿春雪》 © Noriko Yoshida 2021 /JAA2100171
古画の美しさを追求した結果生まれた技法とのことですが。
ふんわりした色合いが、パステル調っぽく、
一周周って、今風なエモい印象も受けました。
また、展示されていた作品の中には、
ベルナール・ビュフェを彷彿とさせる作風のものも。
吉田善彦 《寒林》 © Noriko Yoshida 2021 /JAA2100171
師匠の御舟とはまた全然違う画風でしたが、
さまざまな画風にチャレンジするという点では、
確かに、師匠から譲り受けたものがある気がしました。
正直にカミングアウトしますと、御舟の作品が目当てで、
吉田善彦の作品はそのバーターくらいに思って訪れましたが (←申し訳ありません!)
吉田もいいぞ。
いい意味で裏切られました。
ちなみに。
最後の展示室では、御舟の傑作 《炎舞》 が展示されています。
重要文化財 速水御舟 《炎舞》 山種美術館蔵
名作はいつどんな時に観ても名作ですね。
今回も見入ってしまいました。
絵画だと頭ではわかっているのですが、
揺らめく炎が実際に目の前にあるように錯覚してしまうのです。
鑑賞中、たまたま他のお客さんがおらず、貸し切り状態でした。
ソロキャンプ気分を味わえました。