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小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌

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2019年に加島美術で開催され、美術ファンの間で話題となった小早川秋聲展から早2年―。

 

この秋、東京ステーションギャラリーにて、

小早川秋聲の展覧会の決定版ともいうべき、

“小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌” が開催されています。

 

 

 

大正から昭和にかけて、京都を中心に活躍した日本画家、小早川秋聲。

その初期の作品から晩年の作品まで、さらには初公開も含む、

約100点の作品で構成された関東圏の美術館では初となる大規模回顧展です。

 

(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)

 

 

小早川秋聲って、どんな日本画家??

・・・・・という方は、こちらの記事を読んで頂くことにしまして↓

 

 

 

僕も含めて、加島美術での展覧会で彼を知った方はおそらく、

「小早川秋聲=戦争の画家=暗い画家」 というイメージを抱いていることでしょう。

しかし、今回の展覧会を観ると、良くも悪くも、そのイメージがガラッと変わるはず。

 

今展で特にフィーチャーされているのは、

小早川秋聲の 『旅する画家』 という側面です。

旅好きだった秋聲は、北海道、山陰、紀州など、

日本各地を旅しては、その景色を描いていたのだとか。

また、その生涯で、海外も多く訪れていたそうで。

東洋美術研究のために、何度も中国を旅しただけでなく、

30代の頃には、アジア、インド、エジプトを経て、ヨーロッパ十数ヵ国を遊学。

さらに、日本美術を紹介するべく、北米大陸も横断しています。

 

 

 

今展のメインビジュアルに採用されている 《長崎へ航く》 も、

遊学から帰国後、オランダでのスケッチをもとに描いたとされる作品です。

 

《長崎へ航く》 1931年 個人蔵

 

 

作品が目に飛び込んできた瞬間に、

脳内に 『異国情緒』 の四文字が大写しされるくらいに、異国情緒を感じる一枚。

作品に漂う空気感が完全に異国のそれ。

実際にその地で過ごした人間にしか描けないと思わせる説得力がありました。

ちなみに、秋聲は、この作品を描くために、

インドやインドネシアからオランダに伝わった更紗の古い布を集めたのだそう。

もはや執念すら感じる布の柄の描き込みは必見です。

 

 

そうそう。

描き込みと言えば、こんな作品も。

 

 《天下和順》 1956年 鳥取県立博物館

 

 

パッと見、何が描かれているか、よくわかりませんが。

目を凝らしてみると、中国風の服を身にまとった、

中国人っぽい男性が大量に描かれているのが見て取れます。

そして、ところどころにお酒が入っていると思われる金色の甕も。

祝祭感溢れる一枚です。

緊急事態宣言明けに観ると、いろいろ頭をよぎるものがありました。

 

 

さてさて、今回の展覧会でももちろん、

従軍画家だった時代の秋聲の作品も多く紹介されています。

 

 

 

画題が画題だけに、戦争の無慈悲さ、

シリアスさのようなものも当然感じられましたが。

旅好きだったという秋聲の新たな一面を知った上で、

改めて観てみると、戦争に対して何か特別な主義主張があったわけではなく。

 

見たことのない光景を目にしてみたい!

 

そんな純粋な好奇心から、戦地に同行したのではと思わされるものがありました。

 

例えば、こちらの 《御旗》 という一枚。

 

《御旗》 1934年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)

 

 

戦争画ではありながらも、作風は穏やかで情緒的。

よく見ると、銃の上にバッタがとまっています。

“ほのぼのしている” とは、さすがに言えませんが、

差し迫った緊迫感のようなものはまったく感じられませんでした。

それにしても、銃と御旗のバランスが絶妙ですね。

もし、バランスが崩れたら、銃先の剣でスパッとケガをしかねません。

この形に組み上げる際には、かなりの集中力が必要となりそうです。

 

 

ちなみに。

実は、旅好きだったという一面の他に、

今展では、秋聲のこんな一面も明らかになりました。

それは、キラキラ好きという一面。

 

 

 

↑写真では巧く伝わらなくて恐縮ですが、

彼の作品のほとんどが、全体的にキラキララメラメしていました。

加工アプリくらいに、キラキララメラメ。

もしかしたら、秋聲の根っこは、パリピだったのかもしれません。

 

なお、代表作である 《國之楯》 も同様に、

画面全体が、キラキララメラメとしていました。

 

《國之楯》 1944年(1968年改作) 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)

 

 

うっすらと、そのシルエットが見て取れますが、

もともとは、将校の遺体の上に桜の花びらが降り積もるように描かれていたそうです。

陸軍からの依頼で制作された作品であるものの、
そのショッキングな題材ゆえか、陸軍が受取を拒否。

その後、長く秘匿され、戦後に秋聲自身が画面全体を黒く塗り潰したとされています。

以前、加島美術で目にした際には、

背景の黒が、闇をイメージしているように感じられましたが。

キラキラ感に注目して、改めて観てみると、

黒い画面がただの闇ではなく、宇宙のように思えてきました。

ところどころに白い星のようなもの浮かんでいますし。

これまで、暗くバッドエンドのような絵という印象を抱いていましたが、

今展を通じて、どこか救いがあるラストを感じられる絵へと印象が変わりました。

星星

 

 

 ┃会期:2021年10月9日(土) ~ 11月28日(日)

 ┃会場:東京ステーションギャラリー

 ┃https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202110_kobayakawa.html

 

 



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