本日は、近い将来、長崎県の五島列島に、
オープンするかもしれない美術館をご紹介いたします。
その名も、大山鶴雲美術館。
つい先日急逝した日本画家、大山鶴雲 (1955~2021) の作品を紹介する唯一の美術館です。
「大山鶴雲って誰??」
そう思われた方が大半でしょう。
それもそのはず、活動期間は10数年ほど、
1年に1、2度しか作品を発表していませんでした。
よく言えば、幻の画家。
悪く言えば (←?)、無名の画家です。
ちなみに、大山鶴雲の長男は、アートテラー・とに~。
・・・・・・・そう、わが父です。
出身地は、長崎県の五島列島福江島。
絵を描くのは幼い頃から得意だったそうですが、
青春時代はスポーツや音楽に打ち込んでいたそうです。
上京したのちは、特に美術の専門教育を受けず、
ガス会社や印刷機械の修理工などで生計を立てていました。
20代のある日、とある日本画家に絵を習うようになり、めきめきと上達。
蒼樹会という団体に属し、すぐに会友となり、
1年に1度、無審査で出品するまでになりました。
その頃には、生徒に絵を教えることもあったようです。
そんな大山鶴雲は30代の頃、絵筆を折り、仕事に専念するようになります。
おそらく、2人の息子が成長をしたのが、そのきっかけなのでしょう。
なお、その後、制作らしい制作は、
年賀状用に版画を彫る程度となりました。
そして、月日はだいぶ流れ―
65歳で定年を迎えたのを機に、
妻とともに、生まれ故郷の福江島に移住します。
しかし、それから半年を経たずして、この地で帰らぬ人となったのです。
そんな突然の訃報を受け、先日、福江島の家に駆け付けました。
初めて訪れた福江島の家。
何よりも驚いたのは、家のいたるところにたくさんの絵が飾ってあったこと。
母曰く、こちらに越してきてから、
僕が生まれ育った団地の一室では狭すぎて飾れなかった、
若き日の父の絵を、部屋のあちこちに飾るようにしたとのことでした。
子の欲目であることは重々承知していますが、どの絵も悪くなかったです。
いや、むしろ、なかなか良い絵なのではないでしょうか。
ちなみに。
鶴雲 (かくうん) という雅号を名乗りながらも、
特に、鶴の絵が得意だったというわけではなかった模様。
その代わりに、竹をよくモチーフにしていたようです。
いくつかあった竹の絵の中で、
僕的に推したいのは、こちらの作品です↓
銀と墨で竹林が表現されています。
たとえ、息子の前でも、かっこ悪い一面は決して見せなかったダンディな父。
その生きざまが表れているかのような作品です。
なお、本画の数は、数十点ほど。
フェルメール並みに寡作な大山鶴雲ですが (←?)、
スケッチやデッサンは、それなりに多く残していました。
これらのスケッチやデッサンの中で、
個人的に好きなのは、こちらの1枚です↓
お酒好きだった父らしい一枚。
サラサラッと描かれているのに、
ちゃんとサントリーの角瓶とわかるから素晴らしいです (笑)
あと、左上の謎のひっ算も気になるところ。
鶴雲コード的なものかもしれませんね。
研究者による研究結果が望まれます。
また、もう一つ驚かされたのが、福江島に移住後、
絵画こそ制作していなかったものの、DIYは行っていたということ。
郵便受けや、
クーラーの室外機のカバーを自作していたようです。
これらが、大山鶴雲の遺作。
なぜ、室外機のカバーに、こんなに本気を出したのか?
わが父ながら謎で仕方ありません(笑)
さて、オープンするかもしれないと言ったのは、
半分冗談ではありますが、半分本気でもあります。
ご近所さんや父の友人たちから教えてもらったのですが、
どうやらこの家を訪れる人が、飾ってある父の絵に触れると、
もれなく母がいろいろと解説し始め、トークが止まらないのだとか。
その解説トークは、アートテラーも顔負けなのだそうです (←それはない!)。
というわけで。
五島列島を訪れた際には、大山鶴雲の絵も観てみたい。
そんな奇特な方がいらっしゃれば、
是非お気軽に、ご一報ご相談くださいませ。
事前予約制、日時応相談で大山鶴雲美術館をオープンいたします。
ブログに掲載した作品はごく一部。
館長 (=母) の気が向いたら、展示替えもあるそうです。