今年2022年は、清水九兵衞/六兵衞の生誕100年という節目の年。
それを記念して、現在、千葉市美術館では、
“生誕100年 清水九兵衞/六兵衞” が開催されています。
(注:展覧会は一部撮影可。展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
本名は、塚本廣。
或る時は、清水洋。
或る時は、清水裕詞。
また或る時は、五東衞。
さらには、清水九兵衞として、
あるいは、七代目清水六兵衞として、
怪人二十面相ばりに活動した彼の初の大規模展覧会です。
若き日は建築を学んでいたという九兵衞/六兵衞。
戦後は、東京藝術大学の鋳金科で彫刻を学びます。
その在学中に、どういうわけか、
江戸時代より続く京都の清水焼の名家、
六代清水六兵衞の養子となることに。
そこから、彼の陶芸家としての人生がスタートします。
日展で特選を連続受賞するなど、
陶芸家として高い評価を得るものの。
土という素材にそこまで強く惹かれなかった彼は、
44歳の時に、「五東衞 (ごとうまもる)」 の名前で立体作品を発表。
陶芸家としてのキャリアをすっぱり捨て去りました。
なお、その2年後からは、清水九兵衞を名乗り、
積極的に立体作品を発表していくようになります。
なぜ、清水九兵衞なのか。
その理由は明らかになっていないそうですが。
おそらく、清水六兵衞の 「六=6」 を、
ひっくり返して 「九=9」 にしたのでしょう。
もともとは建築に興味があった九兵衞は、
1970年代より、パブリックアートも多く手がけるように。
展覧会ではその図面やマケットの数々も紹介されていました。
もし、彼の名前を知らずとも、
日本全国に点在する彼が手掛けたパブリックアートは、
一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
と、抽象彫刻の第一人者として活動を続けていた九兵衞ですが。
しかし、彼が58歳の時に、養父である六代目が急逝。
七代清水六兵衞を襲名することになります。
それにより、作陶を再開することに。
1年は陶芸に集中し、
その翌年は彫刻作品に集中。
清水九兵衞と清水六兵衞が一年置きに入れ替わる (?) 生活が始まります。
そんな入れ替わり生活を約20年続け、
八代清水六兵衞を長男に譲ったのちは、
晩年まで彫刻の制作に専念したそうです。
展覧会では、その晩年の作品、
《CORRESPOND》 も紹介されていました。
金属と陶の融合。
九兵衞と六兵衞が合体した、
清水十五兵衞の作品といったところでしょうか (←?)。
さてさて、《CORRESPOND》 はじめ、
どの大型彫刻作品もインパクトがありましたが、
個人的に強く印象に残っているのが、こちらの 《京空間 A》 です。
アルミニウム製のこの巨大な作品の、
“一体どのあたりがどう、京空間なのだろうか?”。
もしや、22世紀の京都を表しているのかも。
そう思案しながら周囲をぐるっと巡っていたら・・・・・
路地のような空間を見つけました。
きっと、これが京空間。
逆さに立てかけた箒があったら完璧です。
ちなみに。
千葉市美術館の1階にあるさや堂ホールでも、
九兵衞の巨大彫刻作品が展示されていました。
しかも、5月22日まではこの会場にて、
九兵衞の孫にあたる清水宏章さんの個展も開催されています。
九兵衞と未来の六兵衞の夢のコラボ。
余談ですが、内覧会当日には、
八代の清水六兵衞さんもいらっしゃいました。
清水家の100年の物語。
清水家版 『カムヴカムエヴリバディ』。