京都国立博物館で開催中の “宸翰 天皇の書―御手が織りなす至高の美―” に行ってまいりました。
まずは、美術展のタイトルにある 『宸翰』 という単語を初めて耳にする方のために、簡単にご説明を。
『宸』 も 『翰』 も、どちらも日常で使わない漢字ですよね。
『宸』 は、 “天皇の住まい。また天皇に関する物事につける言葉” で、
『翰』 は、 “書いたもの。文章。手紙” を表す漢字なのだとか。
つまり、 『宸翰』 とは、“天皇がしるした書” のこと。
天皇がしるした書なら、すべて宸翰なので、
プライベートなものから、国家の安泰を願うものまで、内容や種類は、実にバラエティ豊かです。
とは言え、時代を牽引する存在であるという自覚のもと、一流の学問を修めた天皇の書ゆえに、
どの宸翰にも、おのずと帝王としての尋常ならざる気品や風格、そして内容が備わっているそうなので。
宸翰は、 「書の王者」 として、
あらゆる書の分野の中で、歴史的にも美術的にも最高峰に君臨しているのだそうです。
さて、今回の美術展では、そんな “書の王者” 宸翰の数々が、一堂に大集結!
国宝の 《嵯峨天皇宸翰光定戒牒》 に、
国宝の 《後鳥羽天皇宸翰御手印置文》 に、
重要文化財の 《後深草天皇宸翰消息》 に。
奈良時代から昭和時代までの紛うことなき宸翰、
および関連作品144件 (国宝17件、重要文化財66件をふくむ) が、一堂に会する前代未聞の美術展。
しかも、11月13日から25日までの2週間に関しては、
正倉院から貴重な宸翰が出品され、現在確認されている奈良時代の宸翰3件すべてが勢ぞろいするのだとか!
これだけの美術展を実現させるにあたって、京都国立博物館の方は、かなり心肝を砕かれたことでしょう。
正直に白状しますと、書に関しては、イマイチよくわからない僕ですが、
今回の美術展の奇跡的なラインナップには、思わず震撼させられました。
観賞されていた方皆様も、思わず固唾を呑んでいたのでしょう。
いつになく、森閑とした美術展会場だったことが、とても印象的でした。
ちなみに、今回の美術展の会場になっているのは、新館でなく、特別展示館です。
(↑ただ単に、 “しんかん” という単語を使いたかっただけw)
さてさて、ラインナップの素晴らしさ以外で、
今回の美術展で、特に印象的だったのが、学芸員さんの熱の入りようです (笑)
僕のように、
「書なんて、基本的に、どれ観ても同じ感じだよなァ・・・」
と思いがちな人のために、いかに宸翰の世界が素晴らしいものなのか、
いつになく、丁寧で詳細な説明が、キャプションに書かれていました。
例えば、 《聖武天皇宸翰雑集》
こちらのキャプションには、以下のような記述が↓
『一点一画までも疎かにせず、どこまでも持続する緊張感に、
「天子とはかくあるべし」という精神面での大いなる自覚を感じずにはいられない』
と、主観交じりで、その魅力を解説。
確かに、そう言われて観てみると、書に漂う緊張感を、大いに感じることが出来ました。
また、 《文覚四十五箇條起請文》 には、
『重厚ななかにも繊細さが漂う筆使いには、天性の叡智を垣間見る思いがする』 というキャプションが。
天性の叡智が垣間見えるのですね・・・う~ん。そうか。そうなのか~。
この後も、主観的なキャプションが多数登場 (笑)
第四章のキャプションのラストで、
『(持明院統と大覚寺統の)どれをとっても気高さと圧倒的な存在感に感動するに違いない』 と断言してみたり。
書聖と評される伏見天皇をフィーチャーした第五章のキャプションでは、
『まるで魔法使いのような変幻自在ぶりにきっと驚かれることだろう』 と妙な例えを使ってみたり。
極めつけは、北朝の天皇の書からは、 「理性の青」 が感じられ、
《後光厳天皇宸翰消息》
南朝の天皇の書からは、 「情熱の赤」 が感じられるそうで、
《後醍醐天皇宸翰消息》
南北朝の対立が終わると、その赤と青がブレンドされ (←?) 、
《後小松天皇宸翰消息》 からは、 「高貴の紫」 が感じ取れるのだとか。
キャプションには、 『この紫をイメージできないだろうか』 とありましたが、
残念なことに、僕にはその力が備わってい無いようで、紫どころか青も赤もイメージできませんでした。
修行して、出直してきます!
最後に。個人的に、印象に残った作品を。
数々の名品に交じって出展されていた 《桜町天皇宸翰和歌懐紙》
え~っと、お世辞にも、あまり上手くはないような。。。
それもそのはず (?) 、こちらは、桜町天皇が12歳の時に書かれたもの。
小6ならば、致し方なしです。
・・・と、このすぐ近くに、16歳に成長した桜町天皇の 《桜町天皇宸翰和歌懐紙》 が。
ちゃんと字が上手くなっていて、安心しました。
・・・って、これ以上ないくらいの上から目線で失礼いたしましたm(__)m
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まずは、美術展のタイトルにある 『宸翰』 という単語を初めて耳にする方のために、簡単にご説明を。
『宸』 も 『翰』 も、どちらも日常で使わない漢字ですよね。
『宸』 は、 “天皇の住まい。また天皇に関する物事につける言葉” で、
『翰』 は、 “書いたもの。文章。手紙” を表す漢字なのだとか。
つまり、 『宸翰』 とは、“天皇がしるした書” のこと。
天皇がしるした書なら、すべて宸翰なので、
プライベートなものから、国家の安泰を願うものまで、内容や種類は、実にバラエティ豊かです。
とは言え、時代を牽引する存在であるという自覚のもと、一流の学問を修めた天皇の書ゆえに、
どの宸翰にも、おのずと帝王としての尋常ならざる気品や風格、そして内容が備わっているそうなので。
宸翰は、 「書の王者」 として、
あらゆる書の分野の中で、歴史的にも美術的にも最高峰に君臨しているのだそうです。
さて、今回の美術展では、そんな “書の王者” 宸翰の数々が、一堂に大集結!
国宝の 《嵯峨天皇宸翰光定戒牒》 に、
国宝の 《後鳥羽天皇宸翰御手印置文》 に、
重要文化財の 《後深草天皇宸翰消息》 に。
奈良時代から昭和時代までの紛うことなき宸翰、
および関連作品144件 (国宝17件、重要文化財66件をふくむ) が、一堂に会する前代未聞の美術展。
しかも、11月13日から25日までの2週間に関しては、
正倉院から貴重な宸翰が出品され、現在確認されている奈良時代の宸翰3件すべてが勢ぞろいするのだとか!
これだけの美術展を実現させるにあたって、京都国立博物館の方は、かなり心肝を砕かれたことでしょう。
正直に白状しますと、書に関しては、イマイチよくわからない僕ですが、
今回の美術展の奇跡的なラインナップには、思わず震撼させられました。
観賞されていた方皆様も、思わず固唾を呑んでいたのでしょう。
いつになく、森閑とした美術展会場だったことが、とても印象的でした。
ちなみに、今回の美術展の会場になっているのは、新館でなく、特別展示館です。
(↑ただ単に、 “しんかん” という単語を使いたかっただけw)
さてさて、ラインナップの素晴らしさ以外で、
今回の美術展で、特に印象的だったのが、学芸員さんの熱の入りようです (笑)
僕のように、
「書なんて、基本的に、どれ観ても同じ感じだよなァ・・・」
と思いがちな人のために、いかに宸翰の世界が素晴らしいものなのか、
いつになく、丁寧で詳細な説明が、キャプションに書かれていました。
例えば、 《聖武天皇宸翰雑集》
こちらのキャプションには、以下のような記述が↓
『一点一画までも疎かにせず、どこまでも持続する緊張感に、
「天子とはかくあるべし」という精神面での大いなる自覚を感じずにはいられない』
と、主観交じりで、その魅力を解説。
確かに、そう言われて観てみると、書に漂う緊張感を、大いに感じることが出来ました。
また、 《文覚四十五箇條起請文》 には、
『重厚ななかにも繊細さが漂う筆使いには、天性の叡智を垣間見る思いがする』 というキャプションが。
天性の叡智が垣間見えるのですね・・・う~ん。そうか。そうなのか~。
この後も、主観的なキャプションが多数登場 (笑)
第四章のキャプションのラストで、
『(持明院統と大覚寺統の)どれをとっても気高さと圧倒的な存在感に感動するに違いない』 と断言してみたり。
書聖と評される伏見天皇をフィーチャーした第五章のキャプションでは、
『まるで魔法使いのような変幻自在ぶりにきっと驚かれることだろう』 と妙な例えを使ってみたり。
極めつけは、北朝の天皇の書からは、 「理性の青」 が感じられ、
《後光厳天皇宸翰消息》
南朝の天皇の書からは、 「情熱の赤」 が感じられるそうで、
《後醍醐天皇宸翰消息》
南北朝の対立が終わると、その赤と青がブレンドされ (←?) 、
《後小松天皇宸翰消息》 からは、 「高貴の紫」 が感じ取れるのだとか。
キャプションには、 『この紫をイメージできないだろうか』 とありましたが、
残念なことに、僕にはその力が備わってい無いようで、紫どころか青も赤もイメージできませんでした。
修行して、出直してきます!
最後に。個人的に、印象に残った作品を。
数々の名品に交じって出展されていた 《桜町天皇宸翰和歌懐紙》
え~っと、お世辞にも、あまり上手くはないような。。。
それもそのはず (?) 、こちらは、桜町天皇が12歳の時に書かれたもの。
小6ならば、致し方なしです。
・・・と、このすぐ近くに、16歳に成長した桜町天皇の 《桜町天皇宸翰和歌懐紙》 が。
ちゃんと字が上手くなっていて、安心しました。
・・・って、これ以上ないくらいの上から目線で失礼いたしましたm(__)m
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