現在、東京オペラシティアートギャラリーでは、
“ライアン・ガンダー われらの時代のサイン”が開催されています。
イギリスを代表するコンセプチュアル・アーティスト、
ライアン・ガンダーの東京では初となる大規模展覧会です。
本来は、昨年開催される予定でしたが、
新型コロナウイルスの影響で、本人の来日が叶わず。
展覧会開催予定だった期間は、内容を大幅に変更して、
急遽、“ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展”が開催されました。
今年は、来日することが叶ったため、
無事に当初予定されていた展覧会が開催されることに。
展示室全体を使って、新作旧作をこれでもかとばかりに展示していました。
いや、それどころか、展覧会は、
展示室に入る前から始まっていました。
美術館のエントランスの床には、
大量の黒いカードのようなものが!!
ロッカー付近の床にも、同様のものが散りばめられていました。
これらは、もちろんガンダーによる作品。
タイトルは、《野望をもってしても埋められない詩に足りないもの》。
クレジットカードやキーカード、航空券などを象ったものとのことです。
ちなみに。
ロッカーの中にも作品がありました。
この一列すべてのロッカーの中に、
石が入れられており、使用不可となっています。
タイトルは、《持つことと在ることの板挟み》。
今後お客さんがたくさん入って、
ロッカーが全部使用されてしまった場合に、
「荷物入れたいんだけど、持たないとダメなの?」
「あの石が入ってるロッカーが在るんだから、使わせてくれてもいいじゃん」
と、そんな風に館の人が言い寄られて、
板挟みにあってしまわないか心配な限りです。
と、それはともかくとしまして。
ガンダー曰く、今展のテーマは、「時間」なのだそう。
確かに、黒いカードはそれぞれ、
誰かが実際に使用したものが元になっているので、
そこには、必ず過去があります。
使えなくなったロッカーは、
遠くない未来に何か影響を及ぼしそうです。
会場でひときわ目を惹いていた一列に並んだ黒いボックス。
「ウェイティング・スカルプチャー」と名付けられた、
このシリーズ作品もまた時間と密接に関係しています。
よく見ると、どの箱にもあるのが、ゲージのようなもの。
実は、これらのプログレスバーは、
箱によってそれぞれ固有の時間を表しています。
例えば、ある箱のプログレスバーは、
「グレゴリオ暦の1分」を再現しています。
つまり、プログレスバーが左から右へ、
満たされるのに、ちょうど1分かかっていました。
他にも、「皆既日食の最大継続時間(450秒)」や、
「ブロードウェイのショウにおける幕間の平均時間(900秒)」、
「作家が好みのやわらかさに卵をゆでる時間(258秒)」、
「桜が開花する平均時間(604800秒)」などが繰り返し再生されています。
冷静になると、“何を見させられているんだろう?”という気持ちになりますが。
時間が何を表しているのかを知っていると、
不思議とプログレスバーの動きを見続けてしまうものでした。
ついつい見てしまうと言えば、
今回のメインビジュアルにも使われているこちらの作品も。
《2000年来のコラボレーション(予言者)》です。
穴から顔を覗かせるこのネズミは、動きます。
しかも、喋ります。
ちなみに、声はガンダー自身の娘のものなのだそう。
チャップリンの映画『独裁者』の演説をもとにしたテキストを読み上げています。
ただそれだけの作品なのですが、
不思議と見入ってしまうものがありました。
なお、この作品はまだ小さいながらも目立つほうですが、
出品されている作品の中には、小さく目立たないものも多々あります。
床や椅子の座面の上だけでなく、
天井や受付にひっそりとある作品も。
入館時にもらえるハンドアウトに、
出品作の位置が記載されてはいるので、
僕以外のお客さんも、ハンドアウトを手に館内をくまなく探索していました。
その様子はまるで脱出ゲームに挑む人々のよう。
そういう意味では、この展覧会自体が、
参加型インスタレーション作品と言えるかもしれません。
ちなみに。
個人的にもっとも印象に残っている作品が、
《最高傑作》と《あの最高傑作の女性版》です。
作品に鑑賞者が近づくと、
目玉やまぶた、眉毛が動き、
さまざまな表情を作り出します。
作品を鑑賞する人を、作品が見つめ返す。
観る観られるの関係性を問う作品とのことですが。
ハリウッドザコシショウのあの眼鏡にしか見えなくて仕方ありませんでした。
さらに、それを引きずられてしまったために、
《有効に使えた時間》という自販機型の作品に貼られた、
張り紙の中の「お察しください」というフレーズが、
ハリウッドザコシショウがモノマネする、
誇張しすぎた古畑任三郎で脳内再生されてしまいました。
ハンマーカンマー。