~前回までのあらすじ~
日本全国に存在する国宝をすべて殲滅・・・もとい、目に焼き付ける。
EVAのパイロットに匹敵する (?) 過酷な任務に就いた国宝ハンター。
11月の第一週に、国宝を毎日見続ける一週間作戦に挑むものの結果は、ビミョー。
「国宝ハンターに、自分は向いていないのでは?」 と落ち込むことに。
しかし、国宝ハンターは、再び立ち上がる。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
11月某日7時50分。
新宿発の高速バスに乗り、京都へと向かいました。
移動は、基本的に各駅電車か高速バス。
そう。新幹線や飛行機などに乗れる金銭的な余裕は、国宝ハンターには無いのです (笑)
バスに揺られること、7時間30分 (!)
15時20分に、京都駅に到着いたしました。
さぁ、ここからは、時間との戦いです。
(そのために、バスの車内では、ひたすら体力温存に努めました)
市内のバスに飛び乗って、妙法院へ。
なんとか16時の閉門時間には間に合い、
特別公開中の 《妙法院庫裏》 を拝観させて頂けることになりました。
(注:内部は写真撮影禁止です)
庫裏 (くり) とは、お寺の台所のこと。
これまでに、いくつもの国宝建築を目にしてきましたが、
国宝のキッチンというのは、初めてのパターンです。
さぞ、豪華なキッチンなのかと思いきや・・・・・わりと普通!
ただ、普通は普通でも、キッチンにしては、やたらと広い印象を受けました。
それもそのはず。
あの豊臣秀吉が、先祖のための千僧供養を行った際、
多くのVIPの僧をもてなす料理を作るために、この大きなキッチンをわざわざ作らせたのだとか。
そういう歴史を踏まえての国宝ということなのでしょう。
《妙法院庫裏》 もさることながら、
今回の妙法院来訪のメインは、 『龍華蔵』 と名付けられた妙法院の宝物庫で特別公開されている・・・
《ポルトガル国印度副王信書(羊皮紙)》 (ジャンル:古文書) を観ることです。
こちらは、ポルトガル領ゴアのインド副王から豊臣秀吉に宛てた外交文書で、
秀吉の天下統一を祝し、秀吉のキリスト教弾圧政策 (バテレン追放令) の緩和を求めています。
手紙の文頭に、王冠を抱いた豊臣家の家紋が見て取れますが、
これは、豊臣秀吉を日本の元首として認めていることの証拠なのだそうです。
これに対して、秀吉は、これからも交易はするけど、
キリスト教の弾圧は、変わらず続けていきますよ、と、つれない返事を返したのだとか。
さて、海外の文書なのに、国宝に指定されているのは、
この 《ポルトガル国印度副王信書(羊皮紙)》 、ただ1件だけ。
日本最古の “外交文書” ということで、国宝に指定されたのだそうです。
ちなみに、これまでに定期的に妙法院で公開されてきた 《ポルトガル国印度副王信書(羊皮紙)》 ですが。
今年をもって、妙法院での公開はラストとのこと。
一体、何があったのでしょうか?!
その真偽は不明ですが、とりあえず、自分は観られたので良かったです (←自分本位!)
さてさて、妙法院をあとにし、
16時30分の受付に間に合うように、六波羅蜜寺にダッシュ!
こちらでは、教科書でもお馴染みの 《平清盛像》 や、
《空也上人像》 も観ましたが。
それらの名品も、国宝ハンター的には小物に過ぎません (笑)
国宝ハンターが狙っていた大物は、
本堂に安置されている 《木造十一面観音立像(本堂安置)》 (ジャンル:彫刻)
「ん?本堂に安置されているなら、いつでも観られるんじゃないの?」
と思った、そこのアナタ!
いえいえ、六波羅蜜寺の 《木造十一面観音立像(本堂安置)》 は、いつでも観られるってわけじゃありません。
この 《木造十一面観音立像(本堂安置)》 は、辰年にしか開帳されないのです。
そう。12年に1度だけ。
もし、今年見逃したら、次に観られるのは、12年後。
僕は、41歳になってしまっています (前厄ですね!)
いやぁ、そうなる前に、観ることが出来て良かったです。
ちなみに、実際に目にして感じたのは、本堂の奥に安置されているため、
角度的に、十一面のうち正面の顔以外の十面が見えなかったのが残念だったこと、
その一言に尽きます。
ただ、プライベートで来ていたらしき私服姿の若い僧侶2人が、
いきなり、お経を唱え始めたため、何となく厳かな雰囲気の中で観られたのはラッキーでした。
まぁ、トータルで、プラマイ0ということでしょうか。
今現在の国宝ハンティング数 283/1085
国宝ハンターは、ランキングにも挑戦中
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第四十三話 国宝ハンター、間に合う!
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