現在、日比谷図書文化館で開催されているのは、
“学年誌100年と玉井力三 ―描かれた昭和の子ども―”という展覧会。
日本人であれば、小学生の時に、
誰でも一度は手にしたことがあるであろう、
「学年誌」にスポットを当てた展覧会です。
学年誌。正式には、学年別学習雑誌は、
小学校の学年ごとに発刊されている児童誌のこと。
「♪ピッカピカの一年生」でお馴染みの『小学一年生』などのことです。
日本では馴染み深い学年誌ですが、
実は、海外にはなく、日本独自の雑誌文化とのこと。
その誕生は、意外と古く。
1922年、つまりちょうど100年前に、
小学館より『小學五年生』『小學六年生』が発刊されました。
なお、『小学一年生』が発刊されたのは、その6年後。
1928年だったそうです。
さて、今でこそ表紙には、
子どもたちの写真が使われていますが。
カラー写真が普及されるまでは、
写真ではなく、絵で表現されていました。
その表紙画をもっとも長く手がけていたのが、
今展の主役とも言うべき人物、画家の玉井力三です。
新潟に生まれ、洋画家の中村不折に師事、
戦後は四半世紀にわたって、学年誌の表紙絵を描き続けました。
なんと、『小学一年生』だけでなく、
『小学二年生』『小学三年生』『幼稚園』『めばえ』と、
毎月、計5誌の表紙絵を担当していたそう。
しかも、紙に描いたイラストかと思いきや、
なんと、すべてキャンバスに油彩で描いていました。
当然、他の絵を描いていられる余裕は無く。
学年誌の表紙絵の仕事を特化していたため、
一般的に知られることなく、その画家人生を終えたのでした。
さて、展覧会では、そんな知られざる画家、
玉井力三が描いた表紙絵の原画の数々が一堂に会しています。
さらに、実際の学年誌も展示。
原画と表紙を見比べられるようになっています。
表紙に掲載されていた子どもの顔が、
実は油彩画だったと知って、驚く人は少なくないそう。
多くの方が、これらは写真だと思い込んでいたそうです。
ところで気になるのは、
玉井力三が5誌の表紙絵を担当していた頃、
『小学四年生』~『小学六年生』の表紙絵は誰が担当していたのでしょうか?
正解は、表紙絵ではなく、写真だったそう。
ん?じゃあ、何で『小学三年生』までは写真じゃなかったの?
その理由は、小さな子供のモデルだと、
高学年のモデルのようには、理想の笑顔が上手く作れなかったから。
つまり、まずは小さな子供のモデルを撮影し、
その写真をもとに、理想の笑顔を浮かべた姿で、
玉井は表紙絵の原画を描いていたのだそうです。
その作業を月に5本もこなしていたとは、恐ろしい限り。
しかも、季節に合わせた姿で描かなくてはなりません。
1月はお正月、8月は海水浴と、
ネタが被ってしまう(?)のも、仕方のないことでしょう。
ちなみに。
気になったのが、3月号の表紙の原画。
皆一様に何かを手にしています。
実際の表紙を目にしてみると、
皆、次の学年の学年誌を手にしていました。
これは来月から進級するため。
さりげなく、来年度も引き続き買ってくれるよう、匂わせているのです。
ちなみに。
会場では、玉井による原画や実際の学年誌だけでなく、
学年誌には欠かすことのできない付録の数々も展示されています。
玉井の絵が表紙に使われたのは、
昭和50年の号が最後ということで。
昭和58年生まれの僕は、リアルタイムで、
玉井力三の絵を目にしていたわけではないのですが。
それでも、十分に懐かしさを感じることができました。
お世話になった世代の人にも、
そうでない人にも、楽しめる展覧会です。
ちなみに。
個人的に気になってしまったのが、
『小学三年生』の昭和43年11月号です。
その表紙の一部に、こんな文言がありました。
コンピューター印刷って何?
しかも、213ページだけって。
一体どんなページなのか、
気になって気になって仕方ありません。
答えを知ってる方がいれば、是非教えて頂きたいです。