この夏、埼玉県立近代美術館で、
開催されているのは、“横尾龍彦 瞑想の彼方”という展覧会。
知る人ぞ知る画家、横尾龍彦(1928~2015)の初となる大規模な回顧展です。
1928年、福岡県に日本画家の父と、
霊感者の母のもとに生まれたという横尾龍彦。
1945年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、
日本学科を専攻するも、戦後間もない苦しい生活の中で、キリスト教に救いを見出すように。
そして、卒業後は、一時神学校で学びました。
が、2年で中退。
故郷の福岡県に戻り、美術教師の職に就き、
その傍らで、洋画や版画作品を制作し、公募展に出品していました。
学生時代から、指導した教師たちに、
「油絵に行った方がいい」と告げられていたとか。
この時点ですでに日本画の要素は微塵も感じられません。
1965年の1年間、ヨーロッパに滞在した横尾。
本場のシュルレアリスムを目にしたことで、
エルンストを彷彿とさせる作風にシフトチェンジします。
実際、シュルレアリスムの技法の一つ、
デカルコマニーを用いて、描かれているそうで。
特に下描きをすることなく、キャンバスに向き合い、
デカルコマニーによる偶然生まれた形から着想を得て、
思いの着くままに、制作を進めていたのだそうです。
この頃の横尾の作品は、パッと見は抽象画のようなのですが、
よく見ると、ところどころに人や謎の生きものが細密に描かれています。
角川ホラー文庫の表紙のような?
初期のスーパーファミコンのソフトのパッケージのような?
この横尾の独特なタッチは、1970年代にコアな人気を博します。
その作風から、「地獄絵の画家」と評されたことも。
ともあれ、43歳にして、美術教師を辞め、
画家1本で食べていけるようになったのでした。
さてさて、人気を確立した横尾ですが、
1970年代後半から、青を基調とした作品を制作するように。
横尾曰く、この時代の作品は「青の時代」とのこと。
しかし、ピカソのそれとは違って、陰鬱さはありません。
むしろ、清々しい印象すらあります。
個人的には、初期の作風よりも、
この頃の作風のほうが好きなのですが。
横尾が活動していた当時、従来のファンからすれば、
あまりのキャラ変っぷりに、困惑が隠せなかった方もいたそうです。
なお、この頃に、横尾は禅や、
ルドルフ・シュタイナーの人智学に傾倒し始めたそう。
1980年にはドイツに移住し、さらに作風が変化しますが、
その作風はドイツ的というよりも、むしろ東洋的なものになりました。
日本とドイツを往来しながら活動を続けますが、
1993年には、秩父に新たなアトリエを構えます。
帰国後以降に描かれた作品が、こちら↓
例によって、また作風が大きく変化していました。
この頃の制作について、横尾はこう語っています。
「自分が描くのではない。風が描く、水が描く、土が描く」
字面だけ見ると、だいぶスピリチュアルな感じですが、
決して、スピリチュアルな感じで描かれているわけではありません。
キャンバスを床に置き、そこに水を含ませ、
その上からパウダー状の顔料を振りかけます。
そして、キャンバスを傾けたり、揺らしたり、筆を入れたり、また水をまいたり。
アトリエ内だけでなく、外で描くことも多かったようで、
顔料が風に吹かれることもあったり、土がかかることもあったでしょう。
そうやって完成するのが、これらの作品なのです。
偶然できあがった絵なはずなのですが、
横尾の心象風景がそのまま描き表されているような。
謎の説得力がありました。
というか、画風が何度も大きく変化していましたが、
改めて考えると、その技法が違っただけで、実は一貫して、
横尾は心象風景をそのまま描きたかっただけだったなのかも。
そして、画業の最後に、それに最適な技法に辿り着いたのかも。
その長い旅路を追体験できる良き回顧展でした。
ちなみに。
展覧会のラストに紹介されていたのは、
2014年5月に描かれたとされる《海》という作品。
事実上の「絶筆」と考えられているそうで、
実際に展示されるのは、今展が初めてなのだとか。
ただ、横尾龍彦のFacebookでは公開されていたそう。
その事実を学芸員さんに教えてもらいました。
今や、芸術家のFacebookも研究調査の対象になる時代なのですねぇ(しみじみ)。