約1年ぶりに、竹中工務店東京本店にあるGallery A4(エークワッド)へ。
久しぶりに訪れたら・・・・・
ビルの入り口の前に、謎の構造物が爆誕していました!
実は、こちらは現在、Gallery A4で開催中の展覧会、
“川俣正「アパートメント・プロジェクト」 1982-86ドキュメント展”のために制作されたもの。
日本を代表するインスタレーション作家、
川俣正さんが1983年に行った伝説のプロジェクト、
「TETRA-HOUSE」を2分の1サイズで再現したものです。
さて、「TETRA-HOUSE」とは一体どんなプロジェクトだったのでしょうか?
話は、1982年に遡ります。
インスタレーションという言葉がまだ定着していない頃から、
画廊内に無数の材木を組み上げる独自のスタイルで、注目を集めていた川俣正さん。
28歳という若さで、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表に大抜擢されました。
意気込んでヴェネツィア・ビエンナーレに臨むも、時代は新表現主義の絵画ブーム。
自分の作風と世界のアートシーンのズレを実感させられることとなりました。
果たして、このままでいいのか?
そう思い悩む若き日の川俣さん。
普通の芸術家であれば、作風をガラッと変えそうなものですが、
川俣さんが出した結論は、それとは真逆(?)のアイディアでした。
ギャラリーや美術館で発表するのはやめよう!!
自分の作風は、むしろ日常空間でやったほうが面白い。
そう思い立った川俣さんは、早速帰国後、
世田谷区の桜上水のアパートメントの一室を借りて、
その部屋でインスタレーション作品を発表しました。
「宝ハウス205号室」と名付けられた、
この前代未聞のプロジェクトには、最終的に約20名が訪れたそう。
少なっ!!
と思いましたが、なんでも、
『ぴあ』の紙面だけしかインフォメーションしなかったのだとか。
まぁ、それはお客さんが少ないのも納得です。
しかし、お客さんは少なかったものの、
このプロジェクトに手ごたえを感じた川俣さんは、
その後、福岡や埼玉でも同様のプロジェクトを展開しました。
そして、その集大成とも言うべきが、
1983年夏に約1か月行われた「TETRA-HOUSE」。
札幌市にあった一軒家を舞台にしたアートプロジェクトです。
会場では、「TETRA-HOUSE」に関する資料が充実。
プロジェクト中の貴重な写真が数多く展示されています。
外観もなかなかインパクトがありますが、
それ以上に内部がスゴイことになっていました。
今でこそ、こういうインスタレーション作品は、
越後妻有トリエンナーレなどの芸術祭で目にするので、
そこまで珍しい印象はありませんが。
1983年にこれを目の当たりにした札幌の人々は、大いに驚いたことでしょう。
ちなみに。
プロジェクト期間中には、いろんなイベントも開催されていたようで。
その中には、こんなぶっ飛んだイベントもあったそうです。
北海道を拠点に、パフォーマンス活動する藤木正則さんが、
椅子に固定された状態で、「TETRA-HOUSE」からとある画廊に行く。
そんな罰ゲームみたいなイベントが行われたそうです。
しかも、この状態で地下鉄にも乗車した様子。
やってることは、完全に迷惑系YouTuberです(笑)
そうそう、迷惑系(?)といえば、こんなプロジェクトも。
1984年に代官山のヒルサイドテラスで行われた「工事中」。
ヒルサイドテラスの外壁と屋上に材木を張り巡らせたプロジェクトです。
本来は、1年の期間で行われる予定だったそうですが・・・・・
「休店と思われ、売り上げが減少した!」
と、各テナントからクレームが続出。
その結果、わずか2週間で終了する運びとなったそうです。
そらそうよな。