現在、板橋区立美術館では、
“館蔵品展 狩野派以外学習帳”が開催されています。
と、サラッと言われたところで、
「いや、狩野派以外学習帳って何よ??」と、
疑問に思われた方もいらっしゃることでしょう。
実は、3年前に板橋区立美術館では、
江戸狩野派にスポットを当てた展覧会、
“狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう”が開催されました。
今回の展覧会は、その続編。
江戸狩野派以外、つまり、江戸の民間絵師にスポットを当てた展覧会です。
といっても、その対比として、江戸狩野派の作品も紹介されています。
狩野派好きの皆様も、どうぞご安心くださいませ。
さてさて、江戸の民間絵師による絵画と、
一口に言っても、そのバリエーションはたくさんあります。
そこで、今回の展覧会では、大きく2つの画題に注目しています。
まず、一つ目は「富士山」。
日本一、いや、世界一、
絵に描かれた山といっては過言ではありません。
江戸時代も実に多くの絵師たちによって、富士山は描かれてきました。
ところで、富士山の絵というと、
どんなビジュアルを思い浮かべるでしょうか?
おそらく、多くの方が、青くて雄大で、
てっぺんに雪が乗っている姿をイメージしたのではないでしょうか。
北斎や広重が描いた浮世絵の富士山は、そのイメージに近いですよね。
しかし、狩野派が描く規範的な富士山は、そうではありませんでした。
青ではなく、白一色です。
さらに、てっぺんの形にもご注目ください。
頂が3つの峰に分かれています。
これこそが、狩野派スタイルの富士山なのです。
狩野派に学んだ絵師たちは、
当然、このスタイルを踏襲しました。
対して、独学の民間の絵師たちは、
狩野派のスタイルを必ずしも踏襲はしませんでした。
例えば、小田野直武による《富嶽図》。
おそらく、三保松原で富士山を目にしたことがあるのでしょう。
実際の景色にほぼほぼ近い姿で描かれています。
一方、こちらは龍山なる人物によって描かれた《三保松原富士図》。
富士山感はそこまでなし。
ディズニーシーのプロメテウス火山かと思いました。
さらに、こちらは、オランダ商館付の外科医、
ヤン・フレデリック・フェイルケが描いた富士山です。
富士山よりも、雲のクセが強すぎて、
富士山の存在が、霞んでしまっています。
波動拳みたいなのも出てるし。
最後に紹介したいのは、楫取魚彦による《富士図》。
手抜きとまでは言いませんが、
富士山を描く気概のようなものは感じられません。
覇気がないといいましょうか、何と言いましょうか。
なんとなくですが、お線香の箱のパッケージに描かれていそうです。
さて、展覧会で紹介されていたもう一つの画題は、「牡丹」。
牡丹は、そのゴージャス感や存在感から、
さらには、富貴の象徴として、多くの絵師たちに描かれました。
狩野派が描く牡丹が、正統派で上品な印象だったのに対し、
写実的な画風で知られる小田野直武が描く牡丹は、圧が強め。
生命力に満ち溢れているというか、
もはや、新種の生命体のようでした。
虫でも捕まえて食べそうな。
また、江戸琳派の鈴木其一の三幅対の掛軸では・・・・・
牡丹や梅の花などがコラージュのように配されていました。
現実の光景というよりも、グラフィックのような印象です。
狩野派のようなスタンダードが存在することで、
独自路線を走る民間の絵師たちの個性が際立つ。
どちらがエラいというわけではなく、
この両輪があって江戸美術なのですね。
そんなことに気が付かされる展覧会でした。
ちなみに。
今回出展されていた作品の中で、
個人的に一番印象に残っているのは、
司馬江漢による《樹下美人愛児図》です。
遠くに描かれている建物が変だったり。
木の生え方が独特だったり。
女性の服のはだけ方がわざとらしかったり。
いろいろおかしな一枚です。
何より気になるのは、服のカラーセンス。
水色に黄緑にオレンジに紫に。
笑点メンバーをリスペクトしてるのかもしれません。